「崩壊した当たり前の日常」障害児を育てる桜井奈々が苦しんだ孤立と偏見「私の想いは親のエゴだったのか」
厳密に言うとまったくないわけではなくて、発育に気になるところがある親子向けのグループの集いが月1回程度ありました。でも、定員は5人で、空きはありませんでしたから、もはやないに等しい感じで。「そういう場に参加したいなら、民間のものを探してください」と言われました。そもそも娘がどういう状態なのかもわからないのに、「自分で調べてください」「また半年、1年後にフォローアップに来てください」と言われて。「その間はずっと待つだけですか?」と聞くと「そうですね」と。初めての子育てでただでさえ右も左もわからないのに、不安だけ煽られて放置されたみたいで、途方に暮れました。
「あー、これが現実か。これが世の中なのか」って。指摘するならフォローしてくれるだろうと期待してしまった、自分の世間知らずを痛感しました。くよくよしてばかりいられないので、近隣の市で病院の予約を取ろうとしたのですが、受診は最短で半年後と言われてしまいました。 赤ちゃんのころは寝ているだけで手がかからなかった娘が、1歳半を過ぎて歩き始めてからはどんどん大変になってしまい。手が繋げない、コミュニケーションがとれない、じっとしていられない。10歳くらいまで本当に大変でした。拘束されるものはすべて嫌がるので、私ひとりではどこにも連れて行けなかったんです。抱っこしようにもえび反りになるし、ベビーカーにも座っていられないから、スーパーにすら行けません。もう日常生活が崩壊しました(笑)。
そんな子育てが始まると、孤立するというか、もう「闇」でしたね。週末などに、ほかの家族連れを見るのが嫌で、つらくなってしまう。家で娘と2人だけなら比較するものはありませんが、外のご家族を見てしまうと別世界。ママ友なんかできる暇もなく、ベビー雑誌を読んでは「月齢でできることが娘と違う…」と落ち込んだり。最終的に、娘が2歳10か月のときに医師から知的障害ありの「広汎性発達障害」と診断がつきました。 ── ようやく診断が告げられたときのお気持ちはいかがでしたか?