三菱一号館美術館がいよいよリニューアルオープン。「不在」をめぐる、トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カルの展覧会が開幕
喪失や不在を考察し、「見ること」を問いかけるソフィ・カルの作品群
2019年に渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンで上映されたことも記憶に新しい《海を見る》は、海が身近にあるトルコのイスタンブールに暮らしながら、内陸部に住み、一度も海が見たことがない貧困層の存在をカルが知ったことから制作された。老人から若者まで14人の人物が初めて海を見る瞬間が、6つのスクリーンに映し出される。海を見つめる後ろ姿、そして振り返って言葉を発することなくカメラを見据え、様々な表情を見せる人々の姿は「見ることは何か」ということを鑑賞者に問いかける。 2階に降りて最初の展示室では、カルの自伝的なシリーズを紹介。展示されているのは、近年死去した作家の母親、父親、猫、そして自分自身の死を題材にしたテキストと写真で構成される作品群だ。 母親の日記から時系列に言葉を引用し、1冊だけ日付のないノートに記された言葉からタイトルをとった《いい気分で死ぬ》や、母とカル、それぞれの母親の死について書いた日記と横たわった彫刻の写真を結びつけた《今日、私の母が死んだ》、父の死後に表示された父の携帯メッセージ画面を用いた《どなたさま》、道路の行き止まりの標識の写真に父、母、猫の最期に関するテキストを添えた《私の母、私の猫、私の父》。鑑賞者は、作家自身の個人的な喪失の体験、深い悲しみや身近なものへの愛情など、ロートレックの展示とは打って変わって非常なパーソナルで親密さを湛えた空間に誘い込まれることになる。
絵画の「不在」に何を見るか
本展では初公開となる「ソフィ・カルの《グラン・ブーケ》」も見ることができる。三菱一号館美術館が2010年に収蔵した《グラン・ブーケ(大きな花束)》は19世紀末フランスの画家オディロン・ルドンの代表作で、縦2.5m×横1.6mの大作。限られた期間しか公開されていないため、カルが2019年に同館を訪れた際には本作が展示されていなかった。本作はその「不在」を着想源とした作品だ。 カルはもともと《グラン・ブーケ》が展示されていた場所の前で、学芸員や監視員、美術館スタッフらに本作について語ってもらい、その想いを不在の絵画の代わりとして作品化。様々な角度から語られる《グラン・ブーケ》についてのテキストと、《グラン・ブーケ》のイメージが一時交錯する仕掛けが施されている。展示室には実際の《グラン・ブーケ》も展示されており、色とりどりの花々が咲き誇るこの絵画と向かい合うように、カルが建築家のフランク・ゲーリーから個展のたびに贈られる花束をモチーフにした《フランク・ゲーリーへのオマージュ》が並ぶ。 続く展示室でも絵画の「不在」が追求される。1990年にボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館からレンブラントやフェルメールなどの絵画が盗難される事件があり、一部の作品は額縁だけが残された。カルはこの事件に着想を得て、美術館の学芸員や警備員、来館者に空の額縁のなかに何が見えるかを問いかけた。《あなたには何が見えますか》は、空の額縁を見つめる人の後ろ姿とテキストを組み合わせた作品だ。 《監禁されたピカソ》では、作品は不在ではなくそこにあるが、覆い隠される。これはピカソの没後50周年を記念し、カルが2023年にパリ・ピカソ美術館に招聘された際に手がけた「ピカソ不在」をテーマにした作品シリーズ。展示されているのはピカソの作品ではなく、作品保護のために紙にくるまれたピカソ作品を撮影した写真群だ。包み紙の中身の作品はタイトルのみで示唆される。 さらに、額装された写真の上にテキストが刺繍された布が吊るされ、鑑賞者が自ら布をめくって写真を見るというカルの代表的なシリーズ《なぜなら》も展示。布には「Parce que(なぜなら)」で始まるテキストが書かれており、なぜこの写真が撮られたのか、なぜこの瞬間や場所を選んだのか、などが綴られている。写真を見る前にその存在理由が示されるこの作品もまた、「見る」という行為や、イメージと言葉の関係を鑑賞者に問いかける。 本展は、身近なものの喪失=不在と悲しみやかれらを恋しく想う感情、作品の不在とそこにあったはずのものに想いを馳せること、言葉とイメージの関係など、様々なかたちで見る者の認識や知覚を揺さぶるカルの作品群をまとまって鑑賞できる貴重な機会。最後に「言いわけ」として、4年の延期を経て本展に取り組むこととなったカルの心情が綴られたテキストが展示されているのも見逃せない。カルの展示作品はほとんどが撮影禁止となっているため、実際に訪れて確認してほしい。
Minami Goto