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元労相・村上正邦さん88歳で逝去 保守の立場で政権・司法批判

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週刊金曜日

 自民党参議院議員会長や労働大臣を務め、晩年は『週刊金曜日』とともに「日本の司法を考える会(日本の司法を正す会と後に改名)」を主宰して冤罪問題に取り組んだ村上正邦さんが9月10日午前、亡くなった。88歳だった。  1932年、福岡県生まれ。三崎炭鉱に入社し、19歳で最年少代議員になるなど労働組合活動に尽力。定時制高校の教師から大学進学を勧められて上京した。80年参院選で初当選。89年の参院選で自民が過半数を割り込み、参院が法案や政局の行方を左右するようになると、強い影響力を発揮した。  2001年にケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(当時)の私立大学設置汚職事件で議員辞職。受託収賄容疑で逮捕され、無実を訴えたが実刑判決が確定した。  逮捕後はじめてメディアの取材に応じたのは弊誌に対して(06年3月10日、24日号掲載)。05年12月の自らの東京高裁判決で司法のあり方について根本的な疑問が生じ、その実態を多くの人々に訴えていこうと考えたという。高裁審理では検察の容疑事実の立証が事実上崩れたとされている。  インタビューで俳句に心境を託して「闘志なほ銀杏落葉を蹴散らして」と詠んだ村上さんは高裁判決後に永田町に事務所を開き、政界に一定の影響力を持ち続けた。再審請求をする一方、冤罪を主張する人々を「日本の司法を考える会」に招き、捜査や裁判の問題点を浮かび上がらせた。独自に東日本大震災の慰霊式典を催した。  保守の立場から安倍政権を批判することが多かった。15年9月11日号の弊誌インタビューでは、戦争法案(安全保障関連法案)について「国民の声に耳を傾け、一度取り下げよ」と主張した。辺野古新基地建設など沖縄への姿勢を酷評。自主憲法制定を訴えていたが、安倍政権主導の改憲案には否定的。しばらくは替えないほうがいいと、実質的には“護憲”の主張を述べていた。 (伊田浩之・編集部、2020年9月18日号)

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