築地本願寺―「気宇壮大」と「東洋」の意味の転変。日本文化「孤独」の直視
中国・東洋・日本
ある国際会議で、中国人の学者が「東洋と西洋の文化思想の比較」というようなタイトルで講演をした。筆者のテーマにも近いので興味をもって聴いていたが、途中から少し居心地が悪くなった。 「東洋とは中国である」ということが明瞭に感じられたからだ。中国が経済的にも政治的にもこれほど台頭する以前のことであり、講演者はことさらにというより無意識に話しているのだが、彼の頭にはインドもイスラムも日本もなく、ターゲットは西洋、つまり中国人にとっては「東洋(=中国)vs西洋」なのだ。 筆者は頭を叩かれたような気になった。明治以来、日本人は「東洋(=日本など)vs西洋)であり、「東洋」の中核が中国であるという意識がなかった。意図的に無視したのではなく、ことさら中国を意識する必要がなかったのである。安岡正篤などのいわゆる「東洋学」も「中国学」とは考えていなかったのだ。 しかしこれからはそうはいかない。 日本人はその文化意識を、維新や戦後と同じ程度に転換せざるをえない現実に直面している。中国の台頭によって、東洋を向こうにもっていかれたのだ。われわれは今、日本文化の「孤独」を直視する必要がある。 建築家であり歴史家であり探検家でもあった伊東忠太。戦後の観点からは思想的に右寄りとして批判する人もいるが、その壮大な構想力と行動力は賞賛に値する。 魚河岸は移転する。 しかしそのそばに建ちつづける本願寺の建築を眺めて、明治から昭和を生きた伊東忠太という快男児の、ユーラシアを駆け巡る気宇壮大に酔いしれるのも悪くない。