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今こそ考える孫正義氏は起業家なのか、投資家なのか

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JBpress

 ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が立ち上げたソフトバンク・ビジョン・ファンドで大きな損失が出た、孫氏がアマゾンやグーグルなど米IT大手の上場株の運用に乗り出した、孫氏はウォーレン・バフェットになれるのか──と、ここ最近、孫氏の動向が世間の注目を集めている。この手のニュースを耳にして、著者も「孫氏のビジョンって、『情報革命で人々を幸せに』じゃなかったの?  投資家になってどうするの?」と思ってしまった。孫氏は変節してしまったのだろうか。  結論から言えば、孫氏は少なくとも1994年以降は起業家ではなく、一貫して投資家だったと考えられる。しかも、利益よりも情報をリターンとして得てきた特異な投資家である。孫氏の“正体”を明らかにするため、まずは簡単に彼の半生をひもといてみよう。

■ 孫正義氏、その立身出世の物語  孫氏は、1957年に佐賀県鳥栖市の在日コリアン集落に生まれた。父親は、消費者金融とパチンコ業で成功し、裕福な家庭に育ったらしい。孫家は、鳥栖市から北九州市に転居。さらに福岡市に転居し、孫氏は有名進学校の久留米大学附設高等学校に入学した。  だが高校入学後、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に影響されて脱藩に憧れ、渡米を決意し中退。サンフランシスコの高校を経て、カリフォルニア大学バークレー校に入学した。在学中に、シャープに自ら開発した自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を手にし、米国でソフトウエア開発会社の「Unison World」を設立。日本からインベーダーゲーム機を輸入し米国で販売し、学生時代からビジネスマンとしての才覚を現した。  そして、1980年にバークレー校を卒業。帰国後の1981年にパソコンのパッケージソフトを販売するソフトバンクを設立し、パソコン雑誌を創刊した。その後、孫氏の出資先だった日本データネット(1990年にはソフトバンクに吸収合併される)が1987年に販売を始めた「NCC BOX(通信自由化の結果登場した新電電3社の通信サービスの中から自動的に通信料の一番安い会社を選択するシステム)」で新電電から大きなロイヤリティーを得たことからソフトバンクの急成長が始まった。1994年7月にはソフトバンクは店頭公開、200億円の資金を獲得している。  その資金を元手に、孫氏は買収戦略に乗り出した。1994年12月には、米国のジフ・デービス・コミュニケーションズから展示会部門(コンピューター関連)を127億円で買収。翌1995年には、ジフ・デービスの出版部門も買収した。同年4月には、同じく米国のコンピューター関連の展示会ビジネスのコムデックスを749億円で傘下に収めている。米国のコンピューター関係の展示会ビジネスを手に入れた孫氏は、米国のIT業界で幅広いネットワークを築き、最新の情報を獲得するようになっていった。  それが実を結んだのが、1995年11月の米国ヤフーへの200万ドル出資だ。翌1996年1月には、米国ヤフーと合弁で日本ヤフーを設立。この日本ヤフーは現在でもソフトバンク・グループの重要なビジネスの一つであり、米国ヤフー株への投資(さらに115億円追加投資している)が、一時は3兆円の含み益をもたらした。これがソフトバンクの株価を押し上げ、他の事業に出ていくための資金調達を容易にした。  なお、1994年から95年にかけて買収したジフ・デービス、コムデックスは2001年頃までには上場や売却などの方法でソフトバンク・グループの傘下を離れている。  その後、ソフトバンクは、大小の買収、合弁会社を矢継ぎ早に設立していったが、あまりに数が多いので、ここでは主だったものだけ振り返っていこう。

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