稲盛和夫も実践、「好きな仕事」を見つけた人が絶対にやらないこと
あなたは、今の自分の仕事に満足しているだろうか。大半の人々は日々好きでもない仕事をこなし、苦手な業務でもやらざるをえないのが現実だ。しかし、好きな仕事を求めれば求めるほど、本当に好きな仕事には辿り着くことができないのだという。稲盛和夫を最もよく知る側近・大田嘉仁が、今の仕事を好きになるために役に立つ稲盛氏の言葉を紹介する。本稿は大田嘉仁著『運命をひらく生き方ノート 約三十年、稲盛和夫氏のもとで学んだこと』の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 受験も就職もままならず…… 順風満帆ではなかった若き稲盛和夫 稲盛和夫さんの前半生は苦難の連続でした。中学だけではなく、大学も第一志望は不合格でした。最終的に進んだ地元の鹿児島大学では、当時一番人気のあった応用化学を専攻し、昼は実験に明け暮れ、夜は図書館での勉強やアルバイトに精を出して過ごします。 優秀な成績だったのですが、地方大学の出身ということで就職はなかなか決まりませんでした。「なぜなんだ。自分が認められないのは、社会がおかしいからだ。いっそインテリヤクザにでもなろうか」と斜に構えていたときもあるそうです。 結果として、大学の恩師の紹介でようやく就職が決まったのは京都にある松風工業という会社でした。専攻した応用化学とは全く関係のない瀬戸物の絶縁碍子を作っている会社です。稲盛さんは卒業間際に慌てて無機化学を学び、卒論も出したのですが、それまでの応用化学の知識や経験は生かせません。忸怩たる思いもあったはずです。 稲盛さんは、弱電用絶縁セラミックの研究を任されますが、職場には実験設備もロクに揃っていません。また、実験といっても、いろいろな種類の原料を調合し、成形・焼成・分析するといった単純作業の連続でしかありませんでした。 劣悪な環境の中で、自分の専門から遠く離れた無機化学という分野で、明けても暮れても粉まみれになりながら実験を繰り返す。それは、誰から見てもやりがいを感じられるような状況ではなかったのです。