スタイリストを経て、56歳でアーティストの道へ。ボタン作品を生み出す、片山優子さんのライフストーリー。
大阪を拠点に、美しいボタンジュエリーの制作をしているアーティスト・片山優子さん。68歳になる今も、ますますエネルギッシュに創作活動を続けています。 [写真]片山さんのボタン作品 片山さんは、約40年間プロのスタイリストとして活躍するなか、出逢ったボタンに魅了され、ボタンを主役にした作品を作りはじめました。今では国内外を問わず注目を集めるアーティストの1人として活躍中です。 今回は片山さんがボタンに出逢うまでの、ライフストーリーをお話いただきます。
気づかないうちに68歳になっていました。若い頃は、自分の今の年齢を想像できなかった。40年間スタイリストとしてがむしゃらに生きてきて、56歳でボタンに出逢い、作品を作りはじめました。それからどんどんボタンが好きになって、今はそれで最後を終えようと思っています。
ボタンに出逢うまで、40年間スタイリストやスタイリスト科の講師の仕事をしていたことが、今につながっていると思います。そんな私がボタンに出逢うまでのライフストーリーをお話ししたいと思います。
◆ファッションが大好きだった幼少期
小学校6年生の修学旅行で伊勢志摩に行ったときに着ていた、ネイビーと白のボーダーワンピース。スカートに切り替えがあって、白いボタンがあって……。中学生の頃にお小遣いを貯めて買ったジーパン。膝がどんどん擦りむいて、穴が空いてしまって。最終的に自分でバミューダーショーツにアレンジしました。 それから、制服のノーマルなシャツを着たくなかった高校生でした。オックスフォード地のボタンダウンのシャツが着たくて、母に頼むと「自分で洗濯するなら買ってあげる」と言われたので、自分でアイロンがけして、お気に入りのシャツを着ていました。 こんなふうに、断片的ですが、好きなお洋服のことは今でも思い出せるほど。小さい頃から、ファッションには自分なりのこだわりがあったのかもしれません。
◆雑誌『anan』で、スタイリストという職業を知る
雑誌『anan』が創刊したのは、17歳のとき。2歳上の姉と一緒に、毎号楽しみに読んでいました。それまではソーイングの本から洋服を仕立ててもらっていましたが、既存の洋服でファッションを楽しむという提案が斬新だったことをよく覚えています。 ananでスタイリストという言葉を知りました。当時、周りの友達からは「この洋服似合うかしら?」「このスカート丈どう?」と聞かれて、よくアドバイスをしていたこともあり、18歳でファッションの専門学校へ。