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終戦75年 『特攻』が伝える戦争 元隊員が見た光景と当時の想い

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今年8月15日で終戦からちょうど75年を迎えます。特攻隊に志願し生き残った元隊員に話を聞きました。

兵庫県加西市に残る「防空壕」。

階段を降りた先で行われているのは、戦時中に特攻隊員が書いた遺書を紹介するための上映会です。太平洋戦争中、加西市には海軍の飛行場があり、当時の滑走路も残っています。

ここでは「白鷺隊」という特攻隊が編成され、訓練を受けていました。

『特攻』は敵艦に体当たりする自爆攻撃。死を免れない作戦ですが、命中率は9機に1機だったと言われています。「白鷺隊」でも隊員63人が特攻の末に命を落としました。出撃前日、特攻隊員が書いた遺書からは、複雑な心境がうかがえます。

【亡くなった椎根茂さんの遺書】 「お父さん、お母さんにおわびしたいのは、私、最近家へ手紙一本も出さず、永い間ご無沙汰したことであります。家より情愛のこもった手紙をいただくと、私の心が何故かぐらつくのを覚え、申し訳なしと思い居りました。さようなら4月3日。私の突っ込むときは、必ずお父さんお母さんと叫んで突っ込みます。」 「何の迷いもなく、それが喜びかのように、自分の命を。考えられないですよね今の私たちの生活からすると。あってはだめですね。」(上映会を見た人)

戦後75年、生き残った特攻隊員の多くが亡くなる中、兵庫県に住む伊原昭さん(93)に話を聞くことができました。

伊原さんが海軍の予科練に入ったのは1943年、16歳の時でした。

伊原さんが海軍での教えをまとめたノートには、“国のために命を捧ぐべきだ”と思想を矯正する教えが綴られていました。 『武士道とは死す事なり』 『笑って死ねる搭乗員となれ』 「(Q軍隊による洗脳に近いのでは?)それもあったでしょうな、これはね。洗脳、わしらは洗脳されとったんや。戦争の人殺しの訓練ばっかりの洗脳。つまらないことだったなと思いますな。純真なもんだったなと思いますね。そういう教育を受けちゃっているんだから。」(伊原昭さん) 戦闘機の操縦士として台湾に派遣された際、飛行場がアメリカ軍に襲撃されます。仲間が無残に殺された光景を今も鮮明に覚えていました。 「落下傘の付け根に弾が当たったんでしょうか、ぷかーと浮いていた落下傘がくしゃくしゃとなって横に流れて、人間だけが落ちてくる。1000mほどの高さでしたかな。すとんと落ちてくるのかなと思ったら、まだあんなとこ、まだあんなとこ。なかなか時間がかかる。それで落ちて即死ですわな。」(伊原昭さん)

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