長男の小児がんの治療のため、ダウン症の妹を実家に預け通院する日々…。脳腫瘍の摘出、化学療法、過酷な治療が続く【小児髄芽腫体験談・医師監修】
過酷すぎる大量化学療法
2020年9月から、神奈川こどものクリーン病棟で慶一くんの大量化学療法が始まりました。コロナ禍で面会制限がある時期でしたが、この病棟では最大8時間、付き添うことができました。 「造血幹細胞移植などを受ける患者などが入院する、クリーン病棟に移っての治療でした。この病棟での1カ月は、付き添う私も面食らうほどの過酷さでした。強い薬により、息子の場合は腹痛と水様便が絶え間なく続く状態でした。1時間のうちベッドに戻れるのが10~20分。あとはずっとトイレでした。トイレの時間と計測の記録が病室にあり、私がいない間も、毎時間トイレに行っていることが記録でわかりました。嘔吐も頻繁で、腹痛と便意で眠ることもままならない状態のようでした。 強い抗がん剤による口内の痛みを抑えるのに、数時間氷やアイスを口に入れ続ける治療や、投与された抗がん剤が汗などで体の表面に出てくることで皮膚にもダメージが出てしまうので、1日2回シャワーで洗い流す必要もありました」(広美さん) 1カ月に及ぶ大量化学療法がやっと終わり、慶一くんは元いた病棟に戻ります。 「お友だちもいるおなじみの病棟に戻ってからも、治療の副作用なのか、そのときの暴れ方も大変なものでした。まだ点滴でモルヒネを打っている体調不良もあり、看護師さんがケアしに来てくれても、ものを投げてしまって手がつけられないほど。イライラして大声を出したり暴れたりしていました。よほど体がつらかったのでしょう。 息子がベッドで暴れる様子は、見るに忍びないものでした。私は、ただただ息子の命の無事を願う、そのことで必死だったと思います」(広美さん)
つくば市でアパートを借りて2カ月間、通院での放射線治療
慶一くんは10月になって神奈川こどもをいったん退院。そして、放射線治療と陽子線治療を受けるため、11月には茨城県つくば市にある筑波大学附属病院へ通うことになりました。 「大量化学療法の後、さらに徹底的にがん細胞をたたくために陽子線治療を受けました。陽子線は放射線に比べ、ほかの臓器への負担が少ない治療ということで、当時、小児への陽子線治療が受けられる病院が、自宅の近くではつくばか静岡でした(2023年からは神奈川でも実施可能)。そこで、私と長男だけが2カ月間つくば市に引っ越して通院治療を受けることになりました。 神奈川の自宅から通うことも考えましたが、病気の息子が毎日片道2時間半の距離を通うのはやはり無理があります。治療の期間、私は仕事を休ませてもらって付き添いました」(広美さん) 当時4歳だった由梨ちゃんは、2カ月間保育園を休み、自宅から1時間弱の距離にある夫の実家で預かってもらいました。 「筑波大学附属病院に通う病児とその家族が低価格で利用できる滞在施設があり、私と長男はそのアパートから毎日通院しました。陽子線治療中の副作用も大変なものでした。たびたび嘔吐があるなど、息子のそばから離れられない状況だったので、買い物などはすべてネット注文でまかないました」(広美さん) 慶一くんは1月初旬まで陽子線治療を受け、1月下旬には神奈川こどもに3日間の検査入院をしました。検査の結果、がん細胞は見られないとのことで治療は終了。2020年4月の発見から9カ月におよぶ治療でした。 「神奈川こどもでは、退院前に『復学支援会議』といって、息子が退院後に戻る地域の小学校の校長先生や担任の先生、保健の先生と、息子が入院中に通っていた院内学校の先生、さらに主治医や担当看護師さんたちを集めての面談の機会を設けてくれました。地域の学校側に今後学校生活で気をつけることなどを院内学校の先生や医師、看護師さんからも説明してくれて、とても安心しました。2021年1月末から、息子は元の小学校へ戻れることになりました」(広美さん)
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