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高橋里華さん 元CMクイーンの“壮絶”介護「そんなに悲観していない」【あの人は今こうしている】

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日刊ゲンダイDIGITAL

 コニカ、小林製薬、P&G、イオン、三菱自動車、トヨタ、リクルート……。1990年代から2000年代にかけて、数々の東証1部上場企業のCMモデルとしてお茶の間を賑わせた。本日登場の高橋里華さん(48)だ。95年にはCDデビューを果たし歌手の顔も持つ。さて、今どうしているのか? 【写真】元グラビア女王・川村ひかるは今   ◇  ◇  ◇ 「ジイジはベッドにいることが多いのですが、体調が良い時はリビングでテレビを見たり、予科練時代のアルバムを広げたり……。夏場は屋内でも熱中症の危険がありますから、こまめな水分補給が欠かせませんね」  ジイジとは夫の父。1928年、愛媛県松山市生まれの92歳だ。2011年8月から同居を始め、映像関係の会社を経営する夫と小4の長女、小1の次女の5人暮らしである。 「介護は5年ほど前からですね。まずジイジが認知症になりだし、1年くらい後にバアバの肝硬変が発覚。すでに末期だったため人工透析が必要で、同居当初の介助から2人の介護になっていきました」 ■実家の祖父母に続いて母、そして義父母も…  親の介護は誰もが逃れられない現実だが、高橋さんが家族の介護と向き合ったのは、その10年前に遡る。 「まず、埼玉県の実家の祖母が糖尿病で倒れ、片道1時間半から2時間ほどかけて通うようになったんです」  母と妹は揃って介護ヘルパーの仕事で多忙なため、高橋さんが主な介護者に。祖母が入院するや、一人残された祖父に翌年、大腸がんが発覚。1年後に亡くなったが、高齢者うつにより自殺を図ったこともあったという。  そんな中、06年に34歳で結婚。祖母の介護は続け、10年に長女を出産。翌年、東日本大震災をきっかけに、東京に住んでいた義父母との同居がスタートした。 「それはそれは大変でした。ジイジは潔癖、バアバは年中着物姿でいる古風なタイプで料理が上手。あまりのプレッシャーのため、同居から1年後、2週間ほど長女と一緒に実家に帰ったこともありました」  実家から戻ると我を張らず、歩み寄ることにした。 「ジイジから掃除、バアバには出汁の取り方から愛媛の郷土料理まで手取り足取り……。そうしたら、実の娘のように接してくれるようになったんです」  一方、実家の祖母は右足の膝下を切断せざるを得ないほど糖尿病が悪化。発症から8年の闘病の後、13年に旅立った。同年には次女を出産しており、子育てと介護で寝る暇がなかったという。  だが、14年に実家の母が大腸がん、翌年に膵臓がんを併発。さらに同居中のバアバが肝硬変を悪化させて17年に亡くなり、18年には父が心筋梗塞……。テレビドラマも形なしの介護の日々ではないか。 「つらかったり、思うような介護ができず泣いたことは何度もありました。でも子供たちはジイジが大好き。今では私のお手伝いをしてくれますし、もちろん休日はパパも。だから、そんなに悲観していないですよ」 ■ストレス解消法はフラダンス  さて、高橋さんが芸能界にデビューしたのは高校1年だった15歳。約9万人(!!)が応募した第1回全日本国民的美少女コンテストに入賞(87年、グランプリは藤谷美紀)したのがきっかけだ。清楚なお嬢さまのイメージからCMモデルとして注目を浴び、すぐに引っ張りだこになった。 「最初の海外ロケは89年。コニカフィルムのテレビCMで、撮影は米・ロサンゼルスでした」  忘れられないのは、91年の鹿児島銀行のCM。 「大島紬の着物姿で、ポスターも各支店に。それをご覧になられて『ウチの息子の嫁に!』と、窓口に来られたお客さまが大勢いらっしゃったそうです(笑い)」  その後も、明石家さんま、速水もこみち、故・桂歌丸師匠らとCMで共演。誰もが一度は見たことがあるはずだ。 「年に何回かですが、今でもテレビやCMのオファーがあるんです。時間の調整がつくようならお引き受けしてますよ」  そして先日、ユーチューブで「高橋里華の介護らいふ」をスタートさせた。 「プロではありませんが、日々の介護の中から気づいたことや、ちょっとしたコツ、料理のことなどを発信していきたいと思っています」  ストレス解消法はフラダンス。自宅でDVDを見ながらレッスンをするほか、自らリーダーとして芸能関係の友達とチーム「ラウレア・ラニ」を結成し、各種イベントでお披露目している。 (取材・文=高鍬真之)

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