ダイアナ妃、英国王室一家とクリスマスを過ごせなかった「トラウマ」とは?
継母
スペンサー夫妻が別居してから数年間、アルソープでのクリスマスをダイアナは楽しむことができなかった。その原因は継母のレイン・スペンサーにあった。アンドリュー・モートンが語るように、「レインはタイムキーパーのようにプレゼントを開けるのを取り仕切った。子どもたちは彼女が指示したプレゼントしか開けることが許されず、彼女の時計を見てからでないと、紙を破る許可を与えられなかった」。 月日が流れ、ダイアナはある男性と出会う。彼こそが彼女の人生を変える人物、チャールズ皇太子だ。ダイアナが夢見るのはただひとつ、彼と結婚すること。しかし、プロポーズはなかなか訪れなかった。それは若く美しい貴族の女性であるダイアナにとって、あまりにも遅すぎた。1980年、彼女はクリスマスの休暇中、非常に動揺していたと言う。「ダイアナはとても悲しんでいる。チャールズが結婚を申し込まないせいで、公園でひとり、散歩しながら泣いている」とレイン・スペンサーは友人に語った。ダイアナは最終的に、1981年7月29日にエリザベス女王の息子、チャールズ皇太子と結婚し、世界中の人々の前で王室の一員となった。1981年12月、ウェールズのプリンセスとして彼女は初めてウィンザー家とのクリスマスの日を迎えた。その時、彼女は第一子を妊娠中で、1982年6月21日にウィリアム王子が誕生し、その2年後には次男ハリー王子が生まれた。
ウィンザー家の部外者
しかし、「ダイアナ妃」と呼ばれるようになっても尚、幸せではなかった。そして、サンドリンガムでのクリスマスも何も変わらなかった。ダイアナ妃の美容師リチャード・ダルトンは、ダイアナ妃がそのクリスマスを心底嫌っていたと語っている。「彼女は私に、『とても寒かったし、ディナーは3時までに終わらなければならなかった』と言っていました。『3時だわ、テレビで私を見なければ』と言いながら、皆様もご存知のあの方(エリザベス女王)の真似をしていました。その時、王室は女王のクリスマスメッセージをテレビで観ることになっていたのです。また、それは『形式的なものだった』と語っていました」と「ヴァニティ・フェア」は伝えている。また、「とても緊張した」と、ダイアナ妃はジャーナリストのアンドリュー・モートンに告白している。「私は、何をお渡ししたかは記憶にありますが、何を頂いたのかは全く思い出せません。それは非常に悲しいことではないでしょうか。私はすべての贈り物を整え、チャールズがカードにサインしていたのです。それは非常に失望感を伴い、心苦しいものでした。緊張感に満ち、時に不適切な行動や冗談が交わされていました。それらは外部の方々には理解しづらいもので、理解できるのは内輪の者だけでした。私は間違いなく部外者だったのです。」これらの告白は、2021年に公開されたパブロ・ラライン監督の映画『スペンサー ダイアナの決意』に影響を与えた。本作では、クリステン・スチュワートが1991年のダイアナ妃を演じ、息が詰まるような状況と不安に悩まされながら、クリスマスを王室メンバーと過ごさなければならない姿が描かれている。 年々、ダイアナ妃はクリスマスの義務から逃れるためにあらゆる手段を尽くした。1988年12月、プリンセスは息子たちを連れてシンデレラのクリスマス公演を鑑賞したと報じられた。ダイアナ妃の弟チャールズ・スペンサーによると、父ジョンはウィリアム王子とハリー王子のために、一家の屋敷でアクロバットやピエロを使ったパーティーも企画したという。「彼らはそのパーティを楽しみにしていた」と、スペンサー卿は『デイリー・エクスプレス』に語ったと、『ヴァニティ・フェア』の記事でも引用されている。「ティータイムになると、子どもたちにお小遣いの入った小さな袋を渡し、自分たちでプレゼントを買うことができました。それからみんなで外に出ると、ロバに乗ってプレゼントをたくさん持ったサンタクロースがやってくる。父はそんな幸せを子どもたちに与えることができて、とても喜んでいました。」 それでも尚、ダイアナ妃はクリスマスを楽しむことができなかったのだろうか? 1997年に出版された『The Diana Chronicles(原題)』で、雑誌「タトラー」の元編集長ティナ・ブラウンは、「クリスマス前夜、彼女から電話をもらうことがあり、彼女はひとりでいることが多かった」とダイアナ妃の友人から聞いたという。その後の展開は周知のとおりである。結婚生活に悩んでいたダイアナ妃は、1992年12月にチャールズ皇太子と正式に別れ、4年後に離婚が成立する。それ以降、「ハートのプリンセス」として親しまれたダイアナ妃は、ウィンザー家のサンドリンガムでのクリスマスには招かれなくなった。「ダイアナは、息子たちがクリスマスの日に祖父母や父親と一緒に過ごすべきだと理解していました。もし彼女が反対していたら、息子たちの未来に関わる権利を奪うことになったでしょう」と、元執事のポール・バレルは後に雑誌「サンデー・ピープル」に語っている。