ダイアナ妃、英国王室一家とクリスマスを過ごせなかった「トラウマ」とは?
この記事は、madameFIGARO.frで掲載されたものの翻訳版です。 幼い頃の悲しい思い出がトラウマとなっていたダイアナ妃。サンドリンガム・ハウスでもやはり、ウィンザー家と心を通わせる時間を過ごすことはできなかった。 【写真】蜜月から破滅へ......ダイアナ妃とチャールズ皇太子の軌跡 クリスマスという言葉を聞いた時、プレゼント、家族との食事、そして喜びを連想する人もいれば、辛い時間を連想する人もいる。とりわけダイアナ妃にとっては辛い時間だった。このことをよりよく理解するためには、1967年にさかのぼる必要がある。当時6歳だった幼いダイアナ妃は、王室の私領地サンドリンガムにある彼女の幼少期の家、パークハウスの冷たい階段に座り、年末の祝祭の中でただひとつの願いを抱いていた。それは、母親のフランセスが家に戻ってくることだった。
見捨てられたという思い
1967年、雑誌「ヴァニティ・フェア」によると、ダイアナ妃の母親であるフランセス・バーク・ロシェは、父親であるジョン・スペンサー子爵と別れ、ピーター・シャンド・キッドと一緒になるために家を出た(彼と2年後に結婚する)。4人の子どもの母親であるフランセスはロンドンに引っ越し、ダイアナとチャールズのふたりを一緒に連れて行こうとしたが、夫の反対に直面した。「彼は子どもたちが私の元に戻ることを拒否し、裁判所に対して子どもたちをノーフォークに永遠に戻すよう求めました。その要求が認められたのです。裁判所はクリスマス休暇中で、私は何もできず、打ちひしがれていました」とフランセスは語ったと、米ジャーナリストのサリー・ベデル・スミスの著書『Diana in Search of Herself: Portrait of a Troubled Princess(原題)』(1999年)に書かれている。 幼いダイアナは、トラウマになるような場面をいくつも目撃した。「ダイアナはノーフォークの家の冷たい石の階段の下に静かに座り、鉄製の手すりにしがみつきながら、その周りでは切羽詰まった騒動が繰り広げられるのを見つめていた。彼女は、父親が車のトランクに荷物を詰め込む音を聞き、次にフランセスが庭の砂利道を歩く足音、車のドアが閉まる音、そしてエンジン音が高まっていくのを聞いた。それから車のエンジンが徐々に遠ざかり、母親がパークハウスの門を越えて去っていく音を聞きながら、母親が彼女の人生から出ていくのを感じた。」このエピソードは、アンドリュー・モートンの著書『ダイアナ妃の真実』に書かれたもので、ダイアナ妃が密かに協力して執筆された著名な伝記である。 それ以降、ダイアナと弟、ふたりの姉は母親と週末を過ごすこともあったが、主に父親と一緒に暮らすことになった。離婚後、家族はイギリスのノーサンプトンシャーにあるスペンサー家の歴史的な邸宅、アルソープ・ハウスで暮らした。ジョン・スペンサーは、高価な贈り物で子どもたちを甘やかすことで、フランセスを失った空白を埋め合わせようと最善を尽くした。