なぜ井岡一翔は苦闘のV1成功後にリング上で号泣したのか?「この先(のボクシング人生)は長くない」
2か月間行った米国ラスベガス合宿では、ロンドン五輪フライ級、リオ五輪バンタム級で2つの金メダルを獲得したサウスポーのロベイシ・ラミレス(26、キューバ)をスパーリングパートナーとして招いたが、同じように拳を交えた初っ端は圧倒されて打たれた。 「スパーでは初めてというくらいに(パンチを)もらった。でも動揺することはなく、もらってからどうするかを考えてやってきた。それが、今日の勝利につながった」 この展開の予行演習はできていたのである。 5ラウンドからエンジンをかけた。 活路を見出したのはボディ攻撃である。 手のアクションを大きく使うフェイントを多用した。 「相手は完全にカウンターパンチャーじゃない。しかも、気持ちの強い選手じゃない。フェイントを使いガードをさせて上からでも打ち込もう」 相手のリアクションを読んでのフェイント。わざと右のパンチを空で上に打つ。警戒心の強いシントロンは、ついついつられてガードが高くなりボディが空く。そこに距離をつめ、これでもかと、右も左も叩き込んでいくのだ。シントロンは顔色を変えた。 「ボディは警戒していた。左手を下げてブロックしていたが、後半は受け身になった」とは、試合後の挑戦者の回想。 そのラウンドの終わりに場内の大スクリーンに生後4か月の息子の磨永翔君の姿が映し出された。母親の膝の上でスヤスヤと眠っていた。コーナーに帰った井岡は、偶然、スクリーンを見たという。 「俺、そんな眠たい試合してんのかなと。心の中で笑えてきた」 妻と息子をラスベガス合宿に同行したが、そこでもスパーリング中に「どんな顔で見ているのかなと」と、ちらっと見ると磨永翔君は居眠りをしていたという。息子に癒されさらにペースアップした。 ボディを削られ、シントロンのロープを背負うシーンが増えてきた。動きが明らかに鈍くなっていく。それでも五輪2度出場の無敗の元オリンピアンである。逃げ切れないとみるや、クリンチで抱きつき、井岡の腕をからめる反則技のホールディングで、井岡の”二の矢”を封じ込めにきた。 9ラウンドには、左ボデイをふたつ、真正面から右ボデイをストマックに決めるとシントロンは腰を折った。逃げ回るシントロンは途中よろける始末。10ラウンドに井岡が追いつめ、左のボディストレートから右ストレート、左ボディアッパーの絶妙のコンビネーションブローがヒットすると、場内に「井岡コール」が響く。立場は完全に入れ替わった。 あと一発だった。「追い詰めているからこそ倒せない」という複雑なボクサー心理があったという。 「手ごたえはあった。でもクリンチされて、なかなか行き切るのが難しかった。弱っている相手を見ると一発で倒せると思って(攻撃が)単調になる。頭が単純になるというか、素人感覚で相手は、怖い!と思ったらガードできるんです。そのパターンになった。1(のパンチ)から2(のパンチに)につなげるのも遅かった」 井岡は、「考えすぎず、目の前の相手に逆にシンプルにパンチを打ち込もう」と、考え方を切り替えた。 11ラウンドだった。開始すぐにシントロンのグローブを巻くテープがほつれ、巻き直すブレイクの時間がとられた。時間稼ぎのような行為の間、ニュートラルコーナーに帰った井岡に3700人のファンから大声援がわいた。井岡は、その声に応えるように右手でガッツポーズを作った。「2ラウンドは長い。厳しい展開だったが、あの声援に力をもらいました。日本人して大和魂を見せないといけないと」 井岡は、最後の最後まで前へ出続けた。KO決着までつめきれなかったが、その鬼気迫る勇気に大晦日の“ボクシング殿堂“大田区総合体育館は万雷の拍手で包まれた。