24年前にもあったサヨナラインフィールドフライ事件
阪神DCで評論家の掛布雅之氏は「球審がコールをしなかったミスもあるでしょう。ただ、一番の大きなミスは、この場面で、まずあのフライをフランシスコの守備が不安であるのなら村田が声で制して確実に捕球すべきでした。そして次の反省としては、あのフライなら、打った瞬間に守備側は、球審のコールがなくとも、インフィールドフライと判断すべきで、ベンチもしくはフライの処理に参加せず、塁審の宣告を知っていたであろう、ショート、セカンドが、『タッチプレーだ!』『タッチだ!』と大きな声を出して知らせるべきだったのはないでしょうか。三塁の野間選手も、インフィールドフライとは気づかずに走ったそうですが、なかなかレアなケースで、タッチが必要と、頭にインプットされている内野手も少ないかもしれません。だが、満塁となった時点で、あらかじめ、そういう心の準備もしておくべきでしょう。それも細かいコーチの仕事です。私も現役時代、こういうことを知らずに『インフィールドフライで落とした場合はタッチがいる』と誰かに知らされたことがありました」 確かに試合後、広島の三塁走者の野間は、「(インフィールドの)宣告は聞こえなかった。落ちたから走った。何が起こったかと思った」と語っている。浅いハーフウェイから落球だと判断して、ホームを狙った走塁が、結果的にフランシスコのミスを誘うことになったのである。すべての偶然が重なったのはあるが、掛布氏の言うとおり、いくらプロ野球選手といえど、インフィールドフライの落球後のタッチプレーの必要性をインプットしてある選手は、そう多くないのかもしれない。 実は、1991年6月5日の大洋(現横浜DeNA)対広島戦でも、まったく同じケースでのサヨナラインフィールドフライ事件が起きている。2-2で迎えた9回一死満塁。奇しくもまったく同じケースで、打者の清水義之は、ピッチャー、紀藤真琴のストレートを打ち損じて、真上に高くフライをあげた。 この試合では、球審がすぐにインフィールドフライを宣告していたが、捕球体勢に入っていたキャッチャーの達川光男(現中日コーチ)が、目測を誤り、ボールがポトリを落ちた。達川は、そのボールをつかむと、三塁走者にタッチをせずに、ホームベースを踏み一塁へ送球してホームゲッツーを取りにいった。 だが、このときも、今回の同じルールが適用されて、サヨナラホームインが認められた。当時の山本浩二監督と、達川が必死に抗議したが、ルールを説明されて渋々納得。24年も前のこの珍プレーの歴史を巨人の誰かが知っていれば、今回の痛恨のミスは起こっていなかったのかもしれないが、歴史は繰り返すとも言えるのである。