《佐々木誠の巻》細かい気遣いと面倒見の良さが随一の兄貴分…首位打者争いでは逆に僕が気負って円形脱毛症になった【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】
【ホークス一筋37年 元名物広報が見た「鷹の真実」】#38 佐々木誠 ◇ ◇ ◇ 【写真】《門田博光の巻#2》深夜2時に“麻雀部屋”まで牛丼を届けに行った僕に3万円をポンと渡した太っ腹 走攻守の三拍子を兼ね備え、主にホークスと西武で活躍した佐々木誠さん(59)。ホークス時代は門田博光さんを慕い、打撃フォームを真似ていたほどです。 「俺はバッティングの調子が悪くなると、グリップの位置が耳あたりに来るようにしてるんや」 と言うので、「なんでですか?」と聞くと、「門田さんを見てみい」。門田さんは長距離砲で、誠さんは20本塁打を打った年もありますが、中距離タイプの巧打者。それでも門田さんのフォームを「意識すると打てるんや」と言っていました。 当時は「メジャーに一番近い男」と言われていましたが、実際にメジャーから誘いの声もあったと本人から聞きました。日米野球に出場した際は、ドジャースの大エース、ハーシュハイザーからホームランを打ったこともある。もっとも、誠さんは本塁打よりも、凡打に抑えられた悔しさの方が勝ったようで、「センター前に運んだと思った打球が、ボテボテのセカンドゴロだった」と力負けを告白。その直後くらいから、上腕を鍛え出しました。 そんな誠さんですが、細かい気遣いと面倒見の良さには、何度もお世話になりました。打撃投手時代のある時、「飯食いに行こうぜ」と誘ってもらったものの、僕はちょうど肘を痛めていました。ケガをしている時に飲みに出るのは本来禁止ですが、誠さんは僕の気晴らしになると思ったのでしょう。「球団にはオレの方から言っておくから」と、そこまでフォローしてくれるのです。 しかもその翌日、「遊んだ翌日こそ仕事をしなければ」とグラウンドに向かった僕は、打撃投手の先輩である松浦正さんにこう言われました。「今日からちょっと休め。肘が悪いんやろ。誠から聞いてるぞ」。そうした気遣いができる人なんです。 誠さんが首位打者を獲得した1992年には、逆に僕が気を使うあまり、円形脱毛症になってしまったこともあります。なんとか首位打者のタイトルを取ってほしい、投げミスだけは避けよう、いいコースに投げようと気負うあまり、ストレスになっていたんです。 誠さんには黙っていましたが、お見通しだったんでしょうね。 「お互い調子が悪くなるのはいかんけんさ、今日はいいぜ。2、3球打ったらやめよう。俺も調子落としたくないからさ」 そう言われた時、僕は心中複雑でした。打撃投手としての役割を果たせず、「クソ!」と思う気持ちと、「ズバッと言ってくれて良かった」という気持ち。結局、最終的には感謝の気持ちが強く残りました。僕にとってはそんな兄貴分的な存在でした。 (田尻一郎/元ソフトバンクホークス広報)