台湾のジェンダー平等はアジア屈指!フェミニズムが急速に変化を遂げた理由とは?
豊かな食文化と穏やかな精神風土で、海外旅行の渡航先として大人気の台湾。実は東アジアで初めて女性が大統領に選ばれ、同性婚が法制化されるなど、ジェンダー平等がいち早く進んでいることをご存じですか? 中国国民党の軍の指揮下から脱して、わずか37年で大きな変化を遂げられたのは、なぜなのか。台湾出身の社会学者・張瑋容さんにお話を聞きました。 【写真】台湾に世界初の「月経博物館」が登場!
■女性運動の起源は、1970年代に始まった民主化運動 ――台湾の女性運動は民主化運動から始まったそうですが、まずは、民主化運動が行われるようになった背景を教えてください。 張さん:まず簡単に台湾の歴史を説明すると、1895年、日清戦争に敗れた中国から渡される形で、台湾は日本の植民地になりました。そして1945年、日本が第二次世界大戦に敗れると、再び中国の統治下に。しかし中国大陸では、蒋介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる共産党との間で内戦が勃発。1949年に共産党が勝利すると、蒋介石と中国国民党の残党は中華民国の政権を台湾に移しました。 そんな中国国民党に反発する形で、1970年代から、台湾にもともと住んでいた人々による民主化運動が始まりました。しかし当時は中国国民党によって戒厳令※が敷かれており、政府を批判する社会運動は一切、許されなかった。デモができない代わりに、活動家たちは民主主義や自由、人権に関する雑誌や書籍を作り、アンダーグラウンドで流通させていました。 ※戦争や内乱などの非常事態の際に、全国または一部地域において、通常の法律や制度を停止して軍の指揮下にうつす非常法。 ――自由や人権といった思想とともにフェミニズムも拡散されたことが、女性運動の始まりだったんですね。 張さん:そうです。女性運動もまずは雑誌や書籍の流通から始まり、1990年代までは、公での活動はほとんどされていませんでした。当時のフェミニズムに関する書籍で最も有名なものは、1974年に出版された『新女性主義』。著書の呂秀蓮さんはハーバード大学で法学修士を取得しており、留学中に感銘を受けたフェミニストの思想や活動を綴っています。後に政治に参入し、2000年、女性として初めて副総統に就任しました。 ■「セクハラはいらない。オーガズムが欲しい」セクハラ反対運動がメディアの注目を集める ――地下で粛々と行われていた女性運動が、1990年代に入り急速に盛んになったのはなぜですか? 張さん:1987年に戒厳令が解除されたことが一番の要因ですね。また、1980年代に海外の大学に留学していたフェミニストたちが、1990年代に続々と帰国したことも大きく影響しています。彼女たちの多くは帰国後、大学の教員になったり、女性運動団体を作ったりして、台湾のフェミニズムを牽引する活動に従事していました。つまり、民主化の開花とフェミニズム研究者たちの帰国が重なり、女性運動が一気に活性化したといえるでしょう。 ――女性運動が広まるにつれて、人身売買の被害女性や同性愛者などを支援する団体が次々と誕生。中でも、女性運動に大きく進展をもたらしたのは、どういった活動でしたか? 張さん:世間の関心を引くきっかけとなったのは、1994年のセクハラ反対運動です。職場でのセクハラ被害を筆頭に、当時はレイプ被害も多く、台北市では大規模なデモが実施されました。そこで参加者の一人である性解放派の女性研究者が「セクハラはいらない。オーガズムが欲しい」というスローガンを叫ぶ様子が、メディアで大々的に報じられたんです。 過激でキャッチーなスローガンが一人歩きし、本来の意図は伝わらなかったという意見もありますが、女性運動の認知につながったことは確かです。それを機に、労働環境や賃金の格差、家庭内暴力(DV)なども議論されるようになりました。 ちなみに台湾で女性の社会進出が進んだのは1960年代。輸出業が盛んになり、大量生産を行う工場を主に、労働力の安い女性が多く雇用されるようになりました。1980年代には、女性の労働率は7割を超えていたようです。 ■政府を動かしたのは、国際社会での承認欲求 ――セクハラ反対運動が大きな注目を集めた翌年の1995年、国連による「第4回 世界女性会議」が北京で開催されました。これが台湾政府を動かす決め手になったそうですね。 張さん:「第4回 世界女性会議」では国連加盟国のリーダーによって、性差別の撲滅や女性の地位向上とエンパワメントといった目標が掲げられました。台湾は国連加盟国ではありませんが、当時から、政府も民衆も「国際社会で認められたい」という承認欲求がとても強かったんですね。台湾が国際社会において主体性の持つ存在として認められるために、政府は中国との差別化を強く意識していました。 中国と台湾の一番の違いは、中国は社会主義であり台湾は民主主義であること。民主主義を掲げる台湾は、女性やマイノリティの人々の人権を尊重しなければいけない。そういった考えから、ジェンダー主流化を進めるために政府が動き出し、たくさんのジェンダー平等関連法律が誕生しました。 ――ジェンダー平等関連法律は、具体的に、どのようなものがありますか? 張さん:あらゆる性暴力を禁止する「DV防止法」が1997年に成立しました。労働に関しては、2001年に成立した「両性工作平等法」があります。「工作」は労働を意味し、雇用や待遇などにおける性差別を禁止する法律です。性教育、恋愛教育、同性愛教育を義務づける「ジェンダー平等教育法」の起草は1998年あたりから始まり、2004年に成立。また、並行して女性の積極的な政治参加を促す動きも起きました。 ■女性の政治参加が、人々の意識を変え、台湾を変えた ――台湾では2016年に東アジア初の女性大統領が選出され、大きな話題となりました。女性の積極的な政治参加には、どのような要因があったのでしょうか? 張さん:選挙における女性の定員保証制度が、初めて憲法で規定されたのは1947年。各種の選挙において、女性当選者の比率は10%に定められました。そして1990年代後半、ジェンダー平等の意識が高まる中で、女性4分の1代表制(クオータ制の一種)に改革する動きが始まります。 2004年の選挙制度改革によって、女性議員割合の保証枠が拡大し4分の1に。2008年の立法委員選挙で初めて、女性当選者の比率は30%を超えました。 ――女性当選者の保証枠を拡大することに対して、男性から反対の声は上がりましたか? 張さん:ありましたね。当時、政府も男性の政治家も表向きにはクオータ制を推進していましたが、本心は嫌々従っている人が多かったと思います。「政策だから仕方ない」「女性の候補者を推薦すれば満足でしょう?」という姿勢が、あからさまに見て取れました。 それでも、クオータ制に改定されたことは大きかったと思います。もともと多かった女性の立候補者数は、当選率が上がってさらに増えた。投票する人にとっても、女性候補者の選択肢が多ければ多いほど、女性の当選率は上がりますから。 ――女性の政治家が増えたことで、社会や人々の意識に変化はあったのでしょうか? 張さん:大きく変化したと思います。元台北市の副市長だった女性と話した際、「クリティカル・マス」の話を聞いたんです。集団の中で、大多数ではなくても、その存在を無視できないグループになるための分岐点となる数があり、それの人数を超えたグループを「クリティカル・マス」と呼ぶそうです。 そうすると、必然的に「そのグループに含まれる人ときちんと向き合わなければいけない」という意識が生まれると聞きました。つまり、一定数の女性が政治界に存在し続けると、人々はその状況に慣れて、当たり前のこととして定着する。リーダーシップをとる女性の存在は、女性のエンパワメントにもつながっていると感じます。 ■女性大統領の就任ののちに、アジアで初めて同性婚が認められた! ――2019年には、アジアで初めて同性婚を認める特別法が可決されました。台湾のフェミニストは、LGBTQ+などセクシュアル・マイノリティの人権運動も積極的に進めていたそうですね。 張さん:台湾のフェミニストは女性運動をともにする中で内部分裂し、1990年代後半以降は、体制内改革を主張する「主流派」と性やセクシュアリティに注目する「性解放派」に分かれて活動していました。しかし同性婚の法制化に関しては、もともとLGBTQ団体とともに動いていた性解放派だけでなく、主流派も強く推進したことが、実現できた大きな要因でしょう。 女性の権利に関する法律や政策に対する異論はさほど上がらなかったのですが、同性婚の法制化には長年、多くのバッシングが寄せられ続けていました。転機が訪れたのは2000年。当時の台北市長、馬英九が「LGBTの公民権取得」を掲げて初めての政府主催のLGBTイベントを開催したことを皮切りに、LGBTフレンドリーな雰囲気が徐々に定着。そして2016年、同性婚合法化を支持していた蔡英文が大統領に就任し、法制化に向けて一気に加速しました。 ――初めての女性大統領が誕生し、さらに同性婚法制化の実現にもつながった。女性運動の集大成とも言える結果ですね。なぜ台湾は、これほどスピーディに大きな変化を遂げられたのでしょうか? 張さん:まさに、フェミニストたちの努力の賜物ですね。しかし同時に、政府が働かなければ実現は難しかったはず。「国際的な価値観にコミットして中国と差別化を図る」という目標があったからこそ、民衆と政府が一丸となり、より良い台湾をつくることに取り組めた。「自分たちの手で台湾を守らなければいけない」という共通意識が、他のアジアにはない、台湾の最大の特徴ではないでしょうか。 ▶「子育て=母親の仕事」じゃない。育児を助け合う台湾の文化 に続く 社会学者 張瑋容(チョウ イヨウ) 台湾生まれ。同志社女子大学現代社会学部准教授。専門はジェンダー、社会学、ポップカルチャー。著書に『記号化される日本ー台湾における哈日現象の系譜と現在ー』(ゆまに書房)、『ハッシュタグだけじゃ始まらない 東アジアのフェミニズム・ムーブメント』(大月書店)などがある。 イラスト/MIYO 取材・文/中西彩乃 企画・構成/木村美紀(yoi)