「築75年・再建築不可の実家が売れない問題」に直面した小説家。残置物を片付けるべく<全部無料のガレージセール>を実施してみたら…
◆続々と客が来訪する 最初に来訪したのはおじいちゃん。 叔父の服を熱心に見て回っており、「一度車をとりに帰ります」と言ってやる気まんまんで再来訪。服はどれほど持って帰ってもらってもよかったのでほぼフリーパスです。 すごい地味な格好をした地味なおじいちゃんでしたが、バブリーな叔父の服をどうするんだろう。コスプレが趣味なのかもしれないし、ああ見えて社交ダンスとかやってるかもしれない。 次に来たのがダイニングセット目当ての若い夫婦でした。 この家に唯一ある高価な家具といったらこの無垢材の巨大なダイニングセットです。使用感はありましたがなにせ無垢材。サンダーさえあればいつでも新品同様です。 こんな古い家にボロをもらいにくる人々ですから、DIY力にも溢れているもの。すぐに「こんな傷すぐ削ったらいいよなあ」、「これはいい木だわ」と気に入ってくれました。 あまりにも重かったので軽トラを近所で借りてくるとパパさんが帰宅。その間、残ったお子さんとお母さんとでほかのものを物色してもらいます。
◆観葉植物の古い土まで… 次に来たのが、鍋がほしい主婦の方。 割と鍋っていくつあってもいいものです。 古い園芸用品もたくさんあったので、「こんなものでいいのかな」と思いつつ植木鉢まで持って帰ってもらいました。ミイラになったサボテンつきで。 びっくりしたのが、縁側ですっかりカピカピになっていた観葉植物の古い土まで持って帰る人がいたことですね。 なにせ町中なので庭がない人も多く、土ってわりと買うと高いもの。 「生ゴミと混ぜますわー」といってゴミ袋にぜんぶ空けて持ってかえってくれたおばちゃんがこの日のMVPでした。
◆昭和レトロブーム 「もしかして、ここの遺物には思った以上に価値があるのでは?」と私が気付いたのは、母が水屋箪笥をあけて中の食器を応接間に並べ始めたときでした。 そういえば、昨今昭和レトロブームなるものが来ているらしい……。 私が生まれた昭和50年代もかろうじて含まれるようで、あのころの家の台所にふつうにあった玉すだれや(なんで必ずあったんだろうあれ、結界なのか?)、フルーツの輪切りの断面がプリントされたグラスなどなど。 あとは人形やかごバッグ。高い位置専用の扇風機。ラタン家具。水差し。そういえば鍋にもかならずプリントがありましたね。いまはほとんどないような。 なにせざっと見積もって祖父が暮らしていた時代から30年、時がとまった家です。祖父の衣類もそのままだし、なんなら祖母の使っていた半纏まである。 中でも興味深かったのは叔母のものらしいセーターやジャケットやトップス。いい言い方をすればまるで古着屋のよう。もちろん虫に食われているものもあるでしょうが、まあ、そんなものでも使う人は生地代わりに使うもの。 ワゴン車とともに再び舞い戻ってきた最初の客のおじいさんは、思った以上に人が来ていたことに焦ったのか、さっきの倍速の動きで叔父や叔母の服をワゴンに積み込み始めました。 聞けば少し離れた場所で服のリユース店をやっていることのことで、いやあ、なんでもお知らせってだめもとで出すものですね。どうりで服ばっかり見てると思った。 ※本稿は、『私の実家が売れません!』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
高殿円
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