涙を誘うヤクルトの窓際に追いやられた男のサヨナラ打
底冷えするような寒さに包まれた神宮球場の観客は1万人を割っていた。4月8日、中日戦。それでもライトスタンドのヤクルトファンは声を枯らす。 1-1で迎えた延長10回。先頭の川端慎吾のヒットを足かがりに二死三塁のサヨナラ舞台が整ったが、8連勝がかかっていた中日の浅尾拓也は、4番・雄平との勝負を避け、続く畠山和洋も敬遠気味に歩かせて満塁策をとって6番の田中浩康との勝負を選択した。 田中は、ここまで、いいバントは決めていたが、3タコ。絶対絶命の場面で、ドラゴンズのバッテリーが田中を選ぶ理由もわからぬでもなかった。 「バットに当てて、なんとか前に飛ばすという気持ちだけだった」 打席に向かう田中は、シンプルに、そして強気でいた。 初球。やや甘く入ったストレートを見逃さない。思い切りよく振りぬいた打球は三遊間を真っ二つに割った。一塁を回った田中は、みんなからヘルメットを叩きまくられる祝福を牽制した。4月4日の横浜DeNA戦では頭に山口俊に死球を受けて途中退場してまだ復帰して2試合目。その影響を考えての行動だった。一瞬、不思議な間があったが、ナインも、その田中の意を汲み手荒さのない歓喜の輪が生まれた。 お立ち台に立った田中は感動のスピーチをした。 「みんながつないでくれたチャンス。ファンの方のなんとか決めてくれという思いだったとも思うのでよかったです。まさか、ここに(もう一度)立てるとは……という感じだったのでうれしいです」 まさか、ここに立てるとは……は、偽りのない本音だろう。
早大時代には一学年上の阪神・鳥谷敬と二遊間を組み、メジャーリーガー青木宣親と1、2番コンビを形成していた。2004年にドラフト自由枠で入団すると、2007年からセカンドの定位置を確保、ベストナイン2度(2007、2012年)、ゴールデングラブを1度受賞(2012年)した。ヤクルトのセカンドのポジションを揺るぎないものにしていた背番号「7」が、昨季は、大ブレイクした後輩の山田哲人に、その定位置を奪われ、77試合の出場に終わった。 大減俸となったオフ、ショートには大引啓次がFAで日ハムから移籍。サードには川端、一塁には畠山がいて、内野には、そのショートから押し出された森岡良介もスタンバイ。悲しき“窓際族”となってしまった田中は、ついに外野コンバートを決意。春の沖縄キャンプでは、一塁、三塁、外野と3つのポジションでノックを受けた。初体験となる外野のポジションでは誰よりもボールを追った。 「受け入れる」 3月3日、明治神宮を参拝したチーム恒例の必勝祈願で、田中は絵馬にそう書いた。 セカンドを追いやられ、レギュラーを確約されずに慣れない外野にまでに挑戦している……そういう今の立場を受け入れること。それは、決して腐らず与えられたチャンスでチームのための役割、仕事をこなすための準備と努力を怠らないという32歳になった男の壮絶なる自己犠牲の覚悟の言葉だった。あきらめたわけではない。「受け入れる」ことで自らの可能性に賭けたのである。