フェミニストの恋愛はまるで「ウォーキング・デッド」である|『僕の狂ったフェミ彼女』【レビュー】
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、ミン・ジヒョン氏の著書『僕の狂ったフェミ彼女』(イーストプレス)を取り上げる。 ----------------- 【画像】『僕の狂ったフェミ彼女』 『僕の狂ったフェミ彼女』(イーストプレス・刊/加藤慧訳)は2019年に韓国で発売され、ドラマ化、映画化も決定済みのベストセラー小説だ。著者は作家・脚本家として活躍している86年生まれのミン・ジヒョンだ。 ミンはかつて、友人たちにぼやいたという。「30代のフェミニストの恋愛はまるで『ウォーキング・デッド』だよ」と。 韓国のように家父長制がしぶとく残った国で、「女性らしさ」という名の従属を求めない男性と巡り会うのは難しい。「女性らしく」ではなく「自分らしく」生きたいだけ、「セクハラや差別は許さない」と自分たちの権利のために声を上げたいだけ、ただただ対話をしてわかりあいたいだけなのに……それだけのことが、ゾンビだらけの世界で生きている人間を探すのと同じくらい、難易度が高い。 この国で、愛と権利の両立は困難だ。もういっそ、恋愛なんて求めない方がいいんじゃないか。いや、それでもやっぱり愛は欲しい……本書は、そんな彼女が実体験による葛藤を原動力に書き上げた小説だ。
「彼女を守る誠実で優しい俺」の自己陶酔をぶっ壊す「フェミ彼女」
本書は、映画『猟奇的な彼女』のテイストを意識して書かれた作品だけあって、滑り出しはライトなラブコメの気配が満ちている。 主人公キム・スンジュンは、ルックスにも恵まれ、経済力もある独身アラサー男子。友人はほぼ結婚を済ませ、親からの結婚プレッシャーもキツいなか、せっせと恋活・婚活に励んでいる。結婚相手としての条件は申し分ないスンジュンは「綺麗に着飾って、女らしくて、優しい、いい子」に簡単に出会えるし、簡単に好かれる。 ただ、デート相手に不自由しないからこそ、ただの「いい子」では決定打に欠け、なかなか特定の相手を見定めることができない。それに、スンジュンは熱烈に愛し合った初恋の相手である「彼女」のことを4年経った今でも忘れられずにいたのだ。 そんなスンジュンはひょんなことから「彼女」に再会する。喜んだのも束の間、スンジュンは最悪の事実を知る。「彼女」は、スンジュンが嫌悪する「フェミニスト」になっていたのだ。 「彼女」は、妊娠中絶合法化のデモに参加したり(韓国は最近まで中絶が違法だった)、女らしいふるまいやメイクをやめたり、非婚主義になっていたりと、付き合っていた頃とは全く違う女性になっていた。スンジュンは戸惑いを覚えつつも、「彼女」への未練を断ち切ることができず、再び付き合うことを提案する。自分がたっぷり愛してあげさえすれば、「狂ったフェミニスト」である彼女を“更生“させることができるだろう、と考えたのだ。 スンジュンはまるで「困難な恋愛を達成するラブコメの主人公」になったかのように振る舞う。しかし、物語は彼の思い通りには展開しない。 ラブコメで幾度となく描かれてきた「壁ドン的、強引な男」「女性を守る男」「誠実に将来を考え、女性を幸せにする男」をスンジュンは買って出るが、「彼女」はこれまで女に求められてきた役割を演じることを拒否し、スンジュンの自己陶酔をことごとくぶち壊す。 作中で繰り返し描かれるのは、スンジュンの「恋人に対する期待」だ。かわいく着飾ってほしい、結婚願望を持っていてほしい、男から守られることを喜んでほしい、性犯罪の告発なんてやめてほしい、セックスは男性主導にしてほしい……スンジュンはこれらの希望を普通のことだと捉えており、彼の希望を鼻で笑うようになった「彼女」を、狂ってしまったと嘆き続ける。 自分の方が狂っているという発想は、当然ない。なぜなら、社会や彼の友人は、彼女の方を狂っているとみなしており、それこそがスンジュンの常識だからだ。