竹やぶから2億円 「大変な目に遭った」拾った男性が負った傷と現金の行方 #ニュースその後
元号が平成に変わり、バブルがピークを迎えようとしていた1989年4月。川崎市高津区の竹やぶから、約1億4500万円が入ったバッグが見つかった。5日後には、9000万円入りの紙袋も発見される。計2億円超が放置されたミステリーは「現代版竹取物語」と騒がれ、現場には「二度あることは三度ある」と見物人が押し寄せた。うらやむ世間の視線をよそに「騒ぎで人生が変わることはない」と語っていた拾い主の一人。だがその後を追うと、30年あまりの間に負った「傷」が見えてきた。 【写真まとめ】竹やぶで発見された札束
「名所」と化した発見現場
竹やぶは、大規模な分譲マンションへと姿を変えていた。大部分は2005年に建てられたという。「ここが、あの竹やぶの跡地であることさえ知らない人も増えたよ」。マンションに隣接した一軒家に暮らす渡辺裕康さん(72)が、当時の騒動を覚えていた。 「あの屋根の色、実家に似てるな」。89年4月11日。株関連の業界紙の記者をしていた渡辺さんは、昼のニュースで流れるヘリからの映像に、目がくぎ付けになった。実家前の竹やぶが繰り返し映っていた。 数日後に様子を見に行った。実家周辺はやじ馬であふれ返り、警察が規制線を張っていた。バブル全盛の中、株の高騰に一喜一憂する人たちの姿を間近で取材してきた渡辺さんも、この熱気には驚いた。「屋台まで出るくらい。一時的な『名所』と化していた」と振り返る。 最初の現金入りバッグを見つけたのは、タケノコ採りに来ていた当時39歳の男性だった。現場から数キロ離れた商店街で夫婦で焼き鳥屋を経営しており、店には取材が殺到した。
所有者「脱税した金だった」
神奈川県警は、札束に残された帯封の日付や金融機関名から所有者の割り出しを進めた。1カ月後、記者会見を開き、東京都大田区で通信販売会社を経営する当時46歳の男性社長が、2回に分けて竹やぶに現金を置いたことを認めたと明かした。社長も会見し「脱税した金だった。善人に拾われ、社会に役立てるよう寄付してほしかった」と釈明した。 所有者が判明し、拾い主の男性は当時の報道陣の取材に「私はスターではないし、うまい焼き鳥をお客さんに食べてもらいたい。今回の騒ぎで人生が変わることはないが、とにかくホッとしている」と語った。 脱税を認めた金ではあったものの、捨てたのではなく置いたと主張し、遺失届も出したことなどから、県警は落とし物などを取り扱う遺失物法に沿って社長に返還した。社長から拾い主には謝礼として10%が支払われた。男性は1450万円、5日後にセリ採りに来ていて9000万円を見つけたもう一人の発見者の男性は900万円を受け取り、社長は「(残りの)金は難病関係の施設に全額寄付したい」と語った。騒動は終わったはずだった。