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NYの日本人ピアニスト海野雅威「この街のアーティストたちは僕を温かく受け入れてくれた」

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クーリエ・ジャポン

本記事で紹介したジャズピアニスト、海野雅威さんが2020年9月27日、ニューヨークの自宅のそばで8人の暴漢に襲われ、大怪我に遭いました。鎖骨を骨折しており、現在はピアノを弾くこともできません。2016年12月の取材時に彼が語った「音楽への想い」を改めて掲載いたします。

ジミー・コブとの初共演での衝撃

──2008年にニューヨーク(NY)に移住されました。順調だった日本での活動にいったんピリオドを打ち、渡米された理由は何だったのでしょう。 渡米前の数年はかなり忙しかったんです。ジャズシーンを担う先輩たちのバンドに所属しながら、自分でもリーダーをやっていて、学ぶことはとても多かったのですが、目の前の演奏に追われる生活でした。ちょうど10年演奏活動しているなかで、次第に「自分が本当にやりたいことって何だろう」って、考えるようになっていたんです。 そんな中で、2006年に2回、レコーディングでNYを訪れたのが大きなきっかけになりました。 ──NYに拠点を移すにあたり、どのような準備をされましたか? 当初、仕事のあてなどはあったのでしょうか? ビザを取るために必要な推薦状を、伊藤八十八さんの紹介で、ハンク・ジョーンズが書いてくれたんです。そして、2008年の6月にアーティストビザを取り、晴れて渡米しました。 が、知り合いもほとんどいないですし、仕事はゼロ。貯金は少しあったものの、いつまでもつかわからない。我ながらよく決心したなと思います。そんな状況で、「行きましょうよ」と背中を押してくれた妻には心から感謝しています。NYで暮らしはじめて1ヵ月半くらいは、一度もピアノを弾かなかったですね。 ──ピアノを弾かなかった1ヵ月半は、NYで何をされていたんですか? いろんな人のライブに行っていました。それまで日本では過密スケジュールだったので、長期休暇のようでもありとても楽しかった。 でも、次第にムズムズしてくるんですね。練習しなくて大丈夫かなぁと。そんなある頃、数少ない知人を通じて初めてピザレストランでの演奏の機会を得ました。NYではレストラン・ギグといって、レストランで演奏する仕事がけっこうあるんですね。その時のギャラは20ドルとピザ。とうてい生活できない額ですが、そのピザの味は格別おいしかったですね。 そうやって新天地NYでゼロからスタートし直し、少しずついろんな人と繋がっていったわけですが、渡米後、特に一番すべきことで、もしやらなければ後悔すると思ったのは、推薦状を書いてくれたハンク・ジョーンズに会うことだったんです。

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