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日本軍の造兵廠から米軍基地に使用された「キャンプ・マーケット」、初めて一般開放

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ハンギョレ新聞

「日帝収奪の現場」かつ 「分断の傷跡」として残された空間

 日帝強占期(日本の植民地期)当時の日本軍の兵器工場で、解放後は米軍基地として使用された仁川市富平(インチョンシ・プピョン)の「キャンプ・マーケット」が、81年の歴史上初めて一般に開放される。  仁川市は11日、「仁川市民の日」の前日の10月14日に、富平区山谷洞(サンゴクドン)の富平米軍基地「キャンプ・マーケット」の一部施設を一般市民に開放すると発表した。44万平方メートルあるキャンプ・マーケットのうち、昨年12月に韓米合意により在韓米軍から仁川市に返還された21万平方メートルの中から、B区域10万平方メートルをまず開放する予定だ。  開放区域には、米軍が使用していた野球場などの体育施設や、付属の建物約20棟が残っている。仁川市は開放時期に合わせ、キャンプ・マーケットの歴史や現在の建物の用途などが分かるように案内表示板を設置するとともに、「造兵廠、終わらない歴史」と題して特別企画展を開く。  キャンプ・マーケットは、日帝強占期の1939年に日本陸軍の兵器工場である「造兵廠」として開設され、解放後は米軍基地として使用された。今日まで81年間にわたり、一般人に開放されていない場所だ。ここに約1万人にのぼる朝鮮人が強制動員され、労役に苦しんだ。  当時、日本が軍需品輸送のために敷いた軍用の線路が、今も傷跡のように残っている。金属生活用品を溶かした鋳物工場は、最近まで米軍の倉庫用の建物として使用されるなど、日帝強占期に建設された建物もかなりの数が残されている。  ただし市は、今回の開放から除外された造兵廠の本部と推定される建物や、兵器を製造していた鋳物工場の建物などは、近代建築物調査や環境浄化などを経て、段階別に立ち入りを許可する予定だ。市は、富平地域の軍部隊再配置事業などを総合的に検討し、キャンプ・マーケットの活用策を準備している。 イ・ジョンハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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