誰かと比べ合わなくていい。中村倫也に聞く、あるがままの自分を受け入れるということ
「自分の声は好きじゃないです。でもまあ、しょうがねえなとも思っています」 そう淡々と中村倫也は話す。そこに自虐の色はない。持って生まれたものを、そのまま受け入れる。どこか諦観に近いものを、中村倫也は身にまとっている。 【全ての写真】『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き』中村倫也インタビュー 少し鼻にかかった、甘くて、やわらかい中村倫也の声は、聞いているだけで自然と心がおだやかになるヒーリングボイス。ナレーターを務める『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族』でもその癒し効果は絶大だ。猫たちに話しかけるような中村倫也のナレーションは、まるでひなたぼっこをしているような心地にさせてくれる。 けれど、中村倫也本人は決して自身の声が好きではないと言う。 「そもそもこの仕事をはじめて最初に衝撃を受けたのが、自分の声を聞いたときでした。俺、こんな声してるのかって。たぶん同じように驚いたことがある人も多いと思うんですけど、自分の中で鳴っている声と、実際に周りの人に聞こえる声って全然違うじゃないですか。その衝撃は大きかったですね」
「ずっと自分の声とは向き合ってきました」
特に、俳優という仕事をしている場合、戸惑いは大きい。 「自分の頭の中でイメージしているものと、実際のアウトプットとの誤差を減らすことも、この仕事において大事なテクニックのひとつ。それは声だけに限らず、四肢の使い方もそうです。最初は自分の出している声が思い描いている理想とかけ離れていて。こうしようと思っても、技術がないからどうすればいいかわからない。全然思い通りにいかねえやって思っていました」 だからこそ、俳優は研鑽を積む。正解も完璧もない演技の世界で、少しでもいい芝居ができるように。 「この仕事を始めてから、ずっと自分の声とは向き合ってきました。僕らにとって、声は仕事道具。無自覚ではいられないんですよね。今さら身長は伸びないように、声質も今さらそう変わらないからこそ、あるもので工夫するしかない。そうやっていろいろ工夫をしながら今に至るという感じです」 決してこの声は好きではない。だからと言って、誰かと声帯を取り替えられるわけじゃない。与えられたものの中でどうするか。表現を生業とする人間は、絶えず自分と闘い続けている。 「柔らかさとか硬さはもちろんですけど、そういった声質だけに限らず、息の使い方、口跡の残り方、全体的な音程、間、そういったものをすべてコントロールして、どう変化をつけていくか。たとえばこういうキャラクターだったらこういう喋り方をするだろうなということを考え、特徴を取り入れていく。そうやって少しずつ自分なりの声の表現というのができるようになりました」 中村倫也の舞台に行くとわかるが、彼の台詞はどんなに早口でも一語一句まで綺麗に聞き取れる。また、声色の使い分けも巧みだ。たとえば、『この恋あたためますか』の浅羽なら低音域を効かせて有能冷徹な男の雰囲気を強調し、『凪のお暇』のゴンなら甘み成分多めの優しい声で天然人たらしというキャラクターに説得力を持たせた。 そして、この『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族』では、よりソフトな声で作品の中に流れるゆったりとした空気を引き立てている。 「ナレーションの声は、ほとんどいつもの僕のまんまです。観ている人を作品の世界にいざなうとか、情報を正確に伝えるとか、考えることはもちろんありますけど、ほとんど何もしていないです。普段から野良猫を見かけると『何してるの?』って話しかけるタイプなので。普段猫に話しかけているような感じでナレーションも読ませてもらいました」 北海道の牧場と、ミャンマーのインレー湖。2つの町を舞台に、猫の日常が描かれる。中でも特に印象的なのが、「猫たちはみんな自分なりの生き方を自分で決めていました。無理はせず、だけど精一杯まっすぐに自分の道を歩きます」という、監督・撮影の岩合光昭自らによる語りだ。誰かのようにならなくていい。自分は自分のままでいい。そんなメッセージが、比較とマウントの渦巻く現代社会で生きる私たちを温かく包み込む。 「自分らしく、というのは決してワガママということではなく、自分を受け入れるということ。誰かや何かと比べて自分が劣っているとか優れているとか模範的だとか貢献しているとか、そういうことじゃなく、シンプルに生きればいいってことだと思うんですよね。今のような情報社会は何でも簡単に比較できるようになって。もちろん便利なこともあるけれど、ずっと比べ合いの中にいると心が疲れてしまう。だからこそ、相対的じゃない、絶対的な指針を持って生きるべきだと僕も思います」