青木宣親42歳引退で村上宗隆が涙したのも納得…「通算打率.313」「ファンにサインを書き続け」“成績も人柄も21世紀最高”のアベレージヒッター
現役最年長野手のヤクルト、青木宣親が引退を表明した。42歳。そのプレーぶり、そして際立った数々の成績でずいぶん楽しませていただいた選手だった。 【写真】「引退会見で村上ボロ泣き…青木もらい泣き」「学ランの青木21歳が鳥谷と肩組んで楽しそう…私服ねじねじマフラー、ステキ!」200安打や“後輩ダルの前でナゾ正座”など世界のAOKIの歩みを全部見る
早大で和田、鳥谷と4連覇…プロで評価を覆す首位打者に
青木は松坂世代の1学年下。甲子園にはほぼ無縁の宮崎県立日向高から指定校推薦で早稲田大学へ入学した。 早稲田大は2002年春から東京六大学野球で4季連続優勝を果たす。青木はその主力メンバーだった。1学年上に和田毅、青木の同学年に鳥谷敬、1学年下に田中浩康と、その後プロで活躍する選手を擁していた。その中で青木は2002年秋に39打数17安打、率.436で首位打者を獲得。主に鳥谷の前を打つ2番打者を任され、2002年春から3季連続で外野手のベストナインに選ばれた。 しかし03年のドラフトではチームメイトの鳥谷が自由獲得枠で阪神に入団したのに対し、青木はヤクルト4巡目。175cmと小柄で大学時代0本塁打だった青木の評価は、決して高いとは言えなかった。 それでも青木はプロ入り後、着実に実績を積み重ねていった。 入団1年目の04年は主としてファームでプレーし、301打数112安打、率.372でイースタン・リーグの首位打者となる。この打率は21世紀のイースタン・リーグの最高打率だ。 そして翌05年、4月1日大阪ドームでの阪神戦に2番中堅でスタメン出場するといきなり2安打、以後も安打を量産して202安打を記録。シーズン200安打は1994年のオリックス、イチロー以来史上2人目。ファームと一軍で首位打者になったのも、イチロー(ウエスタン・リーグ1992年、パ・リーグ94年~00年)以来2人目だった。この年、新人王を獲得した。 以後、青木は低い構えから広角に打ち分けるスプレーヒッターとして、ヤクルトの絶対的なリードオフマンとなる。05年に続いて07年(率.346)、10年(率.358)と高打率で首位打者を獲得。次第に長打力もついて06年から5年連続で2ケタ本塁打をマーク。俊足で06年には盗塁王も獲得した。 また青木は10年にも209安打を打ったが、200安打を2回記録したのはNPBでは青木しかいない。 さらに、中堅手としての青木は、抜群の守備範囲の広さを誇っていた。06年から11年まで6年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。シーズン300刺殺を5回も記録している。
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