新しい生活様式で対応しづらい認知症の人たち 気を配るポイントは
新型コロナウイルスの感染が国内で確認されてから1年。マスクの着用や手指のアルコール消毒、ソーシャルディスタンスなど、感染予防のための「新しい生活様式」は浸透しつつあるが、変化に対応しづらい認知症の人やその家族らにとっては、心身ともに負担が重くなっている。感染を防ぎながら認知症の人が日常生活を続けていくためにはどのようなことに気を配れば良いのだろうか。 ◇暮らしと介護の不安重なり焦燥 「なんでできないんだよ」。埼玉県で認知症の母親(80代)と暮らす大学非常勤講師の50代男性はスーパーからの帰り道、母を怒鳴りつけた。マスクを着け忘れ、入店の際に手指をアルコール消毒しなかったからだ。母親の要介護度は日常生活で介護が必要となる「要介護1」だ。身の回りのことや家事はある程度こなせるがコロナ禍の「新しい生活様式」にはなかなかなじめずにいる。 男性の勤務先の大学や専門学校はオンライン授業を導入。非常勤のため自前の研究室はなく、在宅で授業や事務作業をこなす。家にいる時間が以前より長くなったことで、母親のささいな行動が目につくようになった。授業の日はデイサービスを利用したり近所の人に付き添ってもらったりしているが、母親が1人の時もあり、少し物音がするだけで授業に集中できなくなる。コロナ禍以前は大学に行くことや、学生との討論、勉強会への参加が息抜きになっていたが、今はそれも難しい。 コロナ禍で母親の要介護度は「要支援2」から介護が必要な「要介護1」に悪化した。姉弟とは疎遠で母と2人暮らし。自分が感染すれば母親の面倒は誰が見るのか、あるいは双方が感染すれば生活や生計はどうなるのか。非常勤講師としての年収は250万円程度。学生時代の奨学金も返済がとどこおるほどで、暮らしの不安の上に介護の不安が重なり、焦燥にかられる。「ほんのちょっとしたことで怒りが爆発する。介護殺人のニュースを見るたびに、ひとごとではないと思う。それが怖い」 ◇当事者も介護者も追い詰められている 公益社団法人「認知症の人と家族の会」(本部・京都市)によると、コロナ禍で介護・福祉施設での面会制限や外出自粛、介護サービス、認知症カフェの利用制限などがあり認知症の人や家族は大きな影響を受けているという。家族の会が行っている電話相談ではコロナ禍の長期化に伴い新規の相談が増え、相談時間も長くなっている。 鎌田松代事務局長は「先が見えない中で当事者も介護者も追い詰められているように感じる」と危機感を募らせる。相談事例をみると、外出ができなくなったり、人との関わりが減ったりしたことで症状が悪化した人が多いという。鎌田事務局長は「社会や人とのふれあい、外出によるちょっとした運動が、症状の悪化防止に重要」と指摘する。 広島大の石井伸弥教授(老年医学)らが全国の医療・介護施設やケアマネジャーを対象にしたオンライン調査(2020年6月)でも、約4割が「認知症者に影響が生じた」と回答した。特に認知機能や身体活動量の低下などに影響がみられたという。 ◇生活リズム、交流継続、運動が重要 感染を予防しながら認知・身体機能の悪化を防ぐにはどうしたら良いのか――。石井教授らは調査を踏まえ、認知症の人や家族向けに、感染予防に気をつけながら日常生活を送るポイントをまとめたパンフレットを作成し、インターネットで無料公開している。 「感染予防の必要性が伝わらない」「マスクを着用しない」「家族がマスクを着けると不安がる」「人との距離がとれない」――。 調査で浮かび上がった日常生活での困りごとを10項目にまとめて具体的な対応方法が解説されている。 例えば、マスクを嫌がる場合には、人と十分な距離(2メートル)が保ててマスクをしなくても散歩できるコースを探すことや、身なりを整えるといった「生活動作」の中にマスク着用を取り入れることなどを提案。視力の低下により白いマスクが認識しにくくなっている場合もあるので、はっきりした色のマスクにするなどの工夫も紹介する。介護者がマスクを着用する時は、表情や口元が見えず本人が不安になったり意思疎通が難しくなったりするため、本人の正面に回り普段よりゆっくり、はっきり声を出して、身ぶり手ぶりを交えて話すよう勧める。 もっとも大事なこととして「できるだけ今まで通りの生活を続けること」を挙げる。特にポイントとなるのが「生活リズムを保つこと」「3密を避ける形での交流を継続すること」「運動を続けること」の3点だ。寝起きや食事など生活のリズムを保つことで、本人のストレスや混乱を減らし、安心感にもつながる。地域での顔なじみの関係など社会とのつながりを保つことは、孤立状態に陥らないためにも欠かせない。適度な運動は心身の調子を整え、転倒の予防にもなる。人混みなどを避けた散歩や買い物のほか、自宅での運動もできる範囲で取り入れることを推奨している。 そのほか、介護サービスが縮小した場合や、本人や家族が感染した場合に備える方法などもまとめている。標準版で19ページ。パンフレットが掲載されたホームページ(http://inclusivesociety.jp/project.html)。【菅沼舞】 ◇認知症の症状に合わせた感染予防の工夫 ◆感染予防の必要性が伝わらない ・「悪いカゼがはやっている」「口や鼻の弱いところから悪いものが入ってくる」など本人に合ったやさしい伝え方をする ・無理に必要性を伝えず、感染予防対策を試す ◆マスクを着けてもすぐ取る、マスクをしない ・地域で感染が拡大している時期には人混みを避ける ・認知・身体機能悪化予防のための散歩は重要。他の人と触れあうことがない散歩コースを探す ・視力低下で白色が認識しにくいことがあるので、はっきりした色のマスクを使ってみる ◆マスクが息苦しい ・人との十分な距離(できるだけ2㍍)を保ち、部屋を換気しながら一時的にマスクを外す ◆マスクを口に入れてしまう(異食) ・空腹感や生活リズムの乱れ、ストレスなどが原因になっている場合がある。食事を小分けにして回数を増やしたり、食後歯磨きをしたりするなど工夫するとともに、ケアマネジャーらに相談する ◆家族がマスクを着用した時に不安がったり意思疎通が難しくなったりする ・本人の正面に回り、普段よりゆっくり、はっきり声を出し、身ぶり手ぶりを使うよう心がける ・声を出さないようにしつつ、一時的にマスクを外して顔を見せる ・換気が十分で距離(2㍍)が保てている場合は、マスクは着けなくてもよいと考える ◆手洗いをしようとしない ・家族が一緒に手を洗うことで安心感を持たせる ・せっけんを使うのが難しい場合は手指消毒用アルコールを使う ・アルコールは手荒れや乾燥をしやすいので、手洗い後に保湿剤を使う。本人が好きな香りのものを選ぶと受け入れやすい ・お湯を使うなど心地よくする ◆人との距離がとれない ・買い物時はマスクが着用できる短時間で済ませ、前後に散歩を取り入れてみる。 ・人との交流は刺激や生きがいになるので、ウェブ会議システムやネット交流サービス(SNS)を活用した交流を図ってみる ◆寒くて換気を嫌がる ・廊下にいったん外気を取り入れて暖めてから、寝室など生活空間の空気と入れ替える「2段階方式」で行う ・暖房をつけながら、窓を少し開ける「常時換気」で室温を保つ ・加湿器などで湿度を保つ