【実録 竜戦士たちの10・8】(22)中日納会で打倒・ヤクルトのゲキ…FAの落合博満もじっと耳を傾けた
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 日本プロ野球でのFA宣言第1号に続き、FAでの移籍第1号となったのも阪神からFAの松永浩美だった。 FA宣言以降、ダイエー、西武が獲得に名乗りを上げていたが1993年11月28日にダイエーと交渉。翌29日には入団を明らかにした。 中日などが獲得を狙う石嶺和彦はこの日、オリックスの選手会納会に出席。2年前までチームメートだった松永の電光石火の決断に驚きながらも「僕は3球団の話が終わった時点で、ゆっくり考えて決めたい」と慎重な姿勢を崩さなかった。 また、巨人は球団代表の保科昭彦が中日からFAの落合博満に電話を入れ正式に接触。夕方から名古屋市内でラジオ局のパーティーに出席していた落合も「電話はありました」と認めた上で「これで動き出したということ」と話した。 そして30日には「石嶺争奪戦」の本命と目される阪神が、石嶺との初交渉に臨んだ。 阪神側からはフロントトップの三好一彦球団社長、現場トップの中村勝広監督、さらにチーフ打撃コーチの石井晶も出席。まさかの松永流出もあり、石嶺獲得にかける思いの強さを感じさせた。 「3球団それぞれにメリットがある。条件どうのこうのより、本当にどこでプレーしたいのかを考えたい。結果が良くても悪くても、後悔しないようにしたい」 獲得に名乗りを上げていた3球団すべてとの交渉を終えた石嶺は、こう言いながらも「セ・リーグでやりたい気持ちに変わりはない」と、改めて強いセ・リーグ志向を口にした。 この日、名古屋市内のホテルでは中日の93年最後の公式行事となる球団納会が開かれ、落合も出席した。 「石の上にも三年ということわざがあるが、高木監督も来年で3年目。経験が浅いとは言っておれない。選手たちもこのオフは漫然と過ごさないよう、一人一人、自覚を持ってもらいたい」 加藤巳一郎オーナー(中日新聞社会長)がV奪回を呼びかければ、球団社長の中山了も「ヤクルトが3連覇するようなことになれば、ヤクルトはセ・リーグの西武のようになってしまう。来年は我々がヤクルトを倒さねばならない」。この10年で8度リーグ制覇を果たした西武を引き合いに出し、打倒・ヤクルトを強く訴えかけた。 落合が加わろうと、来季も最大のライバルは巨人より野村・ヤクルト。そう言わんばかりの中山のゲキに、落合もじっと耳を傾けていた。 =敬称略
中日スポーツ