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故黒島安武さん、強い憤り 沖国大ヘリ墜落・当時事務局長 「傷跡消えない」 弟・健さん、次世代継承願う

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琉球新報

 【宜野湾】2004年8月の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故当時、同大事務局長で対応に奔走した黒島安武さん(享年73歳)は生前、事故について「決して風化させてはならない」とよく話していたという。安武さんの弟・健さん(72)=石垣市=は昨年亡くなった兄が、墜落事故に対して強い憤りを抱いていたことを覚えている。  ヘリが大学旧本館に墜落・炎上した04年8月13日、学生の身を案じた安武さんは墜落現場から離れた別館への避難を呼び掛けた。当時の取材に「無我夢中だった」と述べている。急いだため十数段ある階段を飛び越え足を痛めた話は、同僚や家族らの間で語り継がれる。一方、事故直後に安否が確認できない安武さんを、健さんや母の貞(てい)さん(享年97歳)ら家族は心配した。  事故後は米軍による現場封鎖や放射性物質の飛散に憤った安武さん。事故から約1年半が過ぎた06年3月に定年退職後、階段を飛び越えた時に太ももの筋肉を断裂し、圧迫骨折していたことが判明した。その後は、歩行の際につえが必要なこともあった。体調を崩して病気療養をしていたが、19年7月に亡くなった。  安武さんは終戦直後の1945年10月に石垣町(現石垣市)で生まれ、戦後の苦しい時代を生き抜いた。長男だったが島の外への憧れから、家族の反対を押し切る形で、16歳で本島へ渡った。首里高を出て、沖縄大に入学後は学園闘争などに参加した。沖国大に就職すると、常に学生や職員のことを考えて仕事に臨み、皆から慕われた。  事故について「米軍は日米地位協定を盾に現場検証を認めず、もたらした傷跡が消えることはない」と健さんに述べていた。事故から16年たつ一方、「世界一危険」といわれる米軍普天間飛行場は変わることなく大学のそばにある。  米軍機の部品落下などが今も相次ぎ、健さんは「事故があるたび墜落を思い出す」。兄が目の当たりにした沖国ヘリ墜落を風化させず、次世代が継承していくことを願っている。  (金良孝矢)

琉球新報社

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