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松任谷由実『かんらん車』――洋楽と歌謡界をつなぐ「おっとり感覚」 世田谷区【ベストヒット23区】

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アーバン ライフ メトロ

「世田谷感覚」のただよう駒沢

「ベストヒット23区」、今回いよいよ世田谷区を取り上げます。  1986(昭和61)年、大学入学のために上京、川崎市の溝ノ口に住んだ私(スージー鈴木。音楽評論家)は、都内にある大学への通学のために、東急新玉川線(当時。現在の田園都市線)で、毎日通り過ぎていた世田谷区を「上品で、どこかおっとりとした街」だとイメージしていました。 【画像】シティポップスのファンからも大人気! 1982年発売の松任谷由実『PEARL PIERCE』のジャケットを見る  その新玉川線で、三軒茶屋駅と桜新町駅の間が駒沢大学駅。子どものころの私が「駒沢大学」(世田谷区駒沢)という大学を認識したのは、1970年代中盤のお笑い界を席巻したせんだみつおの出身校として、でした(ただしせんだは、駒大を2年で中退)。  せんだみつおの著書『ナハ』(東京書籍)によれば、人気のピークに上り詰めた1977(昭和52)年、せんだは世田谷区の、森繁久彌邸から「歩いて七、八分くらいのところ」に一軒家を購入。しかし、その直後の1978年12月に疲労がたたって入院し、一気に「落ち目」(当時のせんだがよく使った言葉)になるのです。  でも、その『ナハ』でせんだみつおは、「落ち目」になるというシビアな話を、実に明るく軽妙な筆致で書き表しています。このあたり、世田谷に学び、世田谷に住み続けた人ならではの、おっとりした「世田谷感覚」なのかも知れません。

駒大出身の重要なふたりのミュージシャン

 せんだみつおを生んだ駒沢大学は、日本音楽史に非常に重要な役割を果たした音楽家も輩出しています。その名は、大沢(現・大澤)誉志幸と久保田利伸。  このふたりには、出身大学以外にも共通点があります。ひとつは黒人音楽への傾倒、そしてもうひとつは、黒人音楽/洋楽寄りの音楽性を持っているにもかかわらず、歌謡曲の作家として世に出たということ。  大沢誉志幸は、自身の初ヒット『そして僕は途方に暮れる』(1984年)で知られる以前に、歌謡曲の作曲家として、いくつもヒットを飛ばしていました。  沢田研二『おまえにチェックイン』(1982年)、『晴れのちBLUE BOY』(1983年)、山下久美子『こっちをお向きよソフィア』(1983年)、極めつけは、中森明菜4枚目のシングル『1/2の神話』(1983年)――。「デビュー前に100万枚売った男」という触れ込みもあったと聞いています。

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