尾上左近、「三人吉三」お嬢吉三で魅せた18歳の歌舞伎俳優は、プライベートをどう過ごす?
江戸の “傾奇者(かぶきもの)”たちと変わらぬ情熱で、歌舞伎の未来のために奮闘する令和の花形歌舞伎俳優たち。彼らの熱い思いを、美しい撮り下ろし舞台写真とともにお届けする連載。今回は尾上左近が登場。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 撮り下ろし舞台写真で愛でる!尾上左近のお嬢吉三
毎年、歌舞伎座の11月といえば、歌舞伎界の主要な俳優たちが出演する「顔見世」が年中行事として開催されるが、今年は趣向を変え、「十一月歌舞伎座特別公演 ようこそ歌舞伎座へ」と銘打った公演が行われている。歌舞伎座と歌舞伎の魅力を紹介する『ようこそ歌舞伎座へ』と、河竹黙阿弥の人気作『三人吉三巴白浪』、長唄の舞踊『石橋』の3演目が上演されている。この特別な機会に白羽の矢が立ったのは、尾上左近。現在18歳の彼は、初役で『三人吉三巴白浪』のお嬢吉三を演じる。音羽屋のホープは、このチャンスをどのように捉えているのだろうか。 ──左近さんにとって“歌舞伎との出会い”だと思える出来事はありますか? 左近:生まれた時から歌舞伎がある環境だったので、“出会い”というものはありませんでしたが、強いて言うならば“歌舞伎の家に生まれたこと”自体が出会いでしょうか。でも、歌舞伎というものを意識したのは父(尾上松緑)が『蘭平物狂』(2014年6月)を演じたときです。僕の「尾上左近」としての初舞台でもあったのですが、改めて“歌舞伎はかっこいいものなんだな”と思ったことを覚えています。 ──これまでに経験された舞台で印象に残っている演目を教えてください。 左近:『太刀盗人』(2021年10月歌舞伎座)で従者を勤めさせていただいたときに、大人の役を経験し、意識が変わりました。声変わりが始まった時期だったこともありますが、子役から大人の役に変わったという自分の意識だけでなく、お客様がご覧になる目も大人の役者を見る目に変わっていくことを感じました。このときのすっぱの九郎兵衛が父で、田舎者万兵衛が(中村)鷹之資のお兄さんだったのですが、鷹之資のお兄さんと共演したこともまた、僕にとって良い刺激になりました。僕にとって7つ歳の離れた身近な先輩なので、そのお兄さんがお芝居に堂々と取り組まれている佇まいを近くで拝見し、僕の意識は少し変わったように思います。 ──2023年11月に歌舞伎座で『顔見世季花姿繪(かおみせづきはなのすがたえ)』で左近さんがなさった静御前には気品があって存在感が際立っていました。この時の公演で何か覚えていることはありますか? 左近:歌舞伎の典型的なお姫様である“赤姫”の拵えをするのは初めてでした。踊りでは、女方のその他大勢のお役で踊らせていただいたことは何度かあったのですが、昨年の『娘七種(むすめななくさ)』は曽我五郎、曽我十郎兄弟と静御前を描いた舞踊劇で、歌舞伎座の舞台の真ん中で踊らせていただくという重圧がもちろんありました。その精神的な面以外にも、衣裳の扱いが大変だったので、少しでも慣れるように、普段は浴衣で行う稽古場でのお稽古の時から衣裳を着せていただきました。 踊りの場合は基本的に振付師の方がいらっしゃるので、他の方に教わる機会がない時もあります。静御前を演じる上では、父からのアドバイスもあって、当時(中村)梅枝さんだった(中村)時蔵のお兄さんに踊りを見ていただいて、衣裳の扱いや女方としての踊り方などを教えていただきました。とてもいい経験だったと思います。 ──2024年は歌舞伎座に出演される機会も多く、「秀山祭九月大歌舞伎」では『妹背山婦女庭訓』で赤姫の雛鳥を初役でお勤めになりました。この時、母親の定高役の坂東玉三郎さんと共演されましたが、ご一緒してどんなことを教わりましたか? 左近:玉三郎のお兄さんの稽古は、演劇をする人間としての基礎を教えていただくもので、今までの自分を全部分解してからたて直すという特殊なお稽古でした。もちろん、お役に関することもたくさん教えていただきましたが、玉三郎のお兄さんは特に発声の仕方と気持ちの2つを両立させることを大切になさっていました。役の気持ちになっていなければ声を出そうとしてもできないですし、その逆も然りです。例えば発声練習としては“手をぶらぶらしながら走って台詞を言ってごらんなさい”とおっしゃって、どんな効果があるのだろうと思いながらやってみると、お兄さんがおっしゃる通り、声が出しやすくなるという変化がありました。どうすれば声が出るか、体が楽になるかということなのだと思います。体を使いながら教えていただけるので、体育会系の指導でしたが、わかりやすくてとてもいい経験になりました。このひと月を経て得た学びが、次の芝居でどのように生かせて何ができるのかを試したくなりましたし、玉三郎のお兄さんにはとてもありがたいという思いとともに、また別の劇場で、別のお役を教えていただけたらと思っています。 ──音羽屋にとって大事な作品である『三人吉三巴白浪』でお嬢吉三を演じることが決まった時の心境を教えてください。 左近:お嬢吉三のお話をいただいた時は父から電話で知り、僕にとって憧れのお役だったので、演らせていただけることに本当に舞いあがっていました。それと同時に歌舞伎座で演らせていただくことには、恐れも出てきますし、重圧もありました。 ──今回は尾上菊五郎さんからお嬢吉三を教わったそうですね。左近さんはかねてから菊五郎さんが演じるお嬢吉三に憧れを抱いていたそうですが、どんなところに惹かれ、また、今回のご指導ではどんなことを教わりましたか? 左近:僕の中にあるお嬢吉三そのものが、菊五郎のお兄さんです。少し影を感じるヒール感があるところにずっと憧れていて、そのお兄さんから直に教えていただけることが、とてもありがたかったです。 今日(10月31日)も舞台稽古を見ていただいて、いろいろなアドバイスをいただきました。「世話物だからといって、役者間で完結させてはいけない。すべてがお客様に対してあるものだから、お客様を意識して、お客様を第一に考えなさい」とおっしゃいました。確かにその通りだと思いましたので、これからも僕の芯に置く考え方として大切にしたいと思います。 ──お嬢吉三といえば「月も朧に白魚の篝も霞む春の空……」で始まる名台詞が有名ですが、お稽古でこの台詞を発してみて、今まで観ていたのと演じるのでは全く違うものですか? 左近:全然違います。菊五郎のお兄さんからは「気持ち良さそうに演るというのは自分が気持ち良くなるのではなく、お客様をそういう気持ちにさせるもの」だと教わりました。もちろん、「自分で歌うように台詞を言って、自分も気持ちよくならなければいけないけれど、それは軽くやるのでも、役になりきるのでもなく、考えて言っている台詞だ」ともおっしゃっていました。 ──『三人吉三巴白浪』にはお嬢の他にも、お坊吉三と和尚吉三というお役もありますが、いつか演じてみたいというお気持ちはありますか? 左近:和尚吉三、お坊吉三は僕の家としては代々演じてきたお役なので、もちろん憧れはあります。しかし今はお嬢吉三に焦点を絞って、これからも演らせていただけるようにもなりたいですし、それこそ菊五郎のお兄さんのように“お嬢の役者”だと思っていただけることを目指したいという気持ちもあります。 今の僕は、軽々しく立役も女方も両方ができるようになりたいとは言えません。“ニン”というものは自分で決めるものではなく、ご覧いただくお客様に求められることでもあると思いますし、今後自分の気持ちや体型などがどうなっていくのかはわかりません。ですからそこはあまり意識せずに、今いただいたお役を精一杯演じていきたいと思います。 ──“ニン”という言葉でいえば、お父様の松緑さんとはタイプが違うと思いますが、そういう意味でお父様から何かアドバイスはありますか? 左近:父は「俺とお前は違うから、俺がやってきた道を目指す必要はない。いろいろな方に教わりなさい」という教育方針なので、僕はいろいろな先輩方から教えていただいています。ただ父は自分が経験したことのないお役に関しても相手役として演じた時のことを思い出して話してくれます。『三人吉三巴白浪』でいえば、和尚、お坊を演じたときにいろいろな方が演じるお嬢吉三と共演しているので、「あの人はこういうふうに演っていたよ」とか、女方、立役ではなく、役の根本的なところを細かく話してくれます。 ──演じる役と丁寧に向き合っていらっしゃるようですが、プライベートな時間ではどんなことをして過ごしますか? 左近:特に趣味はないのですが、インドアタイプなので、家に籠もって漫画を読んだりアニメを観たりして過ごします。映画やドラマも好きで、常に何か物語を見ていたいという気持ちがあります。そういう物語に浸っていると、自分のことをあんまり考えずに済むことが好きです。物語を観ることで、現実を考えない時間が欲しいです(笑)。