尾上左近、「三人吉三」お嬢吉三で魅せた18歳の歌舞伎俳優は、プライベートをどう過ごす?
初日の終演後に電話取材!
──初日を迎えて 11月3日の終演後に電話で取材 実際に舞台に立つことで、どんなことを実感されていますか? 左近:足が震えるほど花道から出て行くのが怖かったです。お客様がいる空間に出ていくことへの恐怖ではなく、お嬢吉三という役に対する恐怖だと思います。例えば菊五郎のお兄さんが演じたお嬢吉三というものが、お客様の目や耳にあるだろうと思うと、恐ろしくなりました。 父からも、「揚げ幕から出た時からお嬢になるのではなく、花道に出る前に役になりきっていなければならない」といわれていて、それを意識したつもりではいましたが、それでも怖い思いはありました。 ──客席から観た光景や“待ってました”という大向こうがかかった時はどんなお気持ちでしたか? 左近:なるべくお嬢として自然体でいようと思っていたのですが、気持ち的には目の前は真っ暗でした。まだ3日目なので余裕もありませんが、(坂東)亀蔵のお兄さんと(中村)歌昇のお兄さんとに助けていただいて、そこから徐々に大川端の舞台が見えていったように思いました。最初の出のところは、僕をずっと支えてくれている尾上緑さんがおとせ役だったので、それにも助けられていたのですが、おとせを川へ落としてしまうと、舞台上ではたった1人になって「月も朧に」の台詞を言う瞬間が待っているので、あそこが1番恐ろしかったです。 でも大向こうがかかると元気づけられるといいますか、本当に演じる者にとって力になりますね。菊五郎のお兄さんが「役者だけで完結させてはいけない」と仰っていたように、歌舞伎は役者だけで作るのではなく、お客様も含めて完成する芸術であることをつくづく感じました。「待ってました」という声はよく聞こえてきましたが、今回、お客様が待っているのは“音羽屋のお嬢吉三”だと思います。菊五郎のおにいさんから習った音羽屋のお嬢吉三をしっかりと作っていけるようにしなければならないと改めて思いました。お客様に気持ちよさそうに見せることの難しさというものがよくわかりました。 ──尾上菊五郎さんからは何かお言葉はありましたか? 左近: 初日が終わった後に、菊五郎のお兄さんのところへご挨拶に行きまして、その時に少しお話させていただきました。お兄さんからは「お嬢吉三を自分のものにしていけ」と言っていただきまして、そのお言葉が本当に嬉しかったです。励みにもなりますし、その始めの一歩として演じ抜いて、いただいたお言葉を一生胸に抱えていきたいと思いました。 尾上左近(ONOE SAKON) 東京都生まれ。父は尾上松緑。2009年10月歌舞伎座『音羽嶽だんまり』の稚児音若で本名の藤間大河の名で初お目見得。14年6月歌舞伎座『倭仮名在原系図 蘭平物狂(やまとがなありわらけいず らんぺいものぐるい)』の一子繁蔵で三代目尾上左近を名のり初舞台。 ©SHOCHIKU