「レコード大賞」が国民的行事でなくなった「2つの理由」と「復活の秘策」
相次ぐ「連覇」のせいで
第二の理由は「受賞音楽家のマンネリ化」です。平成時代、一部音楽家の「連覇」が続いたのです。 昭和の細川たかし2連覇や、中森明菜2連覇はともかく、2001~2003年の浜崎あゆみ3連覇や、2008~2010年のEXILEの3連覇(その後、2013年にも受賞)には、さすがに違和感を抱いたものです。また1995~1998年の小室哲哉系4連覇にも(trf→安室奈美恵×2年→globe)。 加えて、AKB48、三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE、乃木坂46も2連覇を達成。見ていてマンネリ感を強く感じたというのが、正直なところでした。 結果、レコ大を拒否する音楽家が増え、また時折報道される買収や利権絡みの報道も作用して、賞としてのステータスが低下していったと考えるのです。 では、これからのレコ大はどうあるべきか。混迷の時代には原点に立ち戻るのがいちばんでしょう。
原点に戻って「1曲」に絞る
1959年の記念すべき第1回、空席の目立つ文京公会堂で選ばれたレコ大は、当時としてはハイカラなロッカバラード=水原弘『黒い花びら』。 1967年は翌年、大爆発するグループサウンズ(GS)ブームに先駆けたジャッキー吉川とブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』。 1974年は、吉田拓郎作曲の森進一『襟裳岬』が受賞。歌謡曲とフォークとの融和に先鞭を付ける――。 このように、単なる売り上や人気だけでなく、来年からの音楽シーンへの指針となる新しい音楽性を持つ楽曲を選ぶべきだと考えるのです。 「そんな曲、1曲に絞れるのか?」なんて声も聞こえてきそうですが、2018年の米津玄師『Lemon』なんて、まさにそんな曲だと、当時思ったものでした(選ばれませんでしたが)。 昭和の時代にレコ大と並ぶ国民的行事だったNHK紅白歌合戦は、レコ大以上にやいのやいの言われながらも、「国民的」であり続けることを諦めずに、2018年には米津玄師が出場し『Lemon』を歌いました。レコ大にも出来ないことはないはず。 そんな「シン・レコ大」への気運の醸成に向けて、一応お仕事として、毎週毎週ヒットチャートとにらめっこしている評論家として、1972年レコ大の映像を繰り返し見ている一レコ大ファンとして、勝手に「早すぎる2024年レコード大賞」を妄想してみましょう(すでにレコ大の候補となる「優秀作品賞」が発表されましたが、それはそれとして)。