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打撃投手から現役復帰し、リーグ優勝に貢献した「苦労人右腕」とは

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週刊ベースボールONLINE

テスト合格で南海へ

 プロ野球の長い歴史の中で、打撃投手から現役復帰した投手は数えるほどしかいない。打者を打ち取ることにエネルギーを注ぐ現役時代と違い、打撃投手は打者に心地よく打たせることが仕事になる。マウンドで投げる意味合いがまったく違う中、現役に復帰して結果を残すのは容易ではない。その中で打撃投手から現役に返り咲き、リーグ優勝に貢献するなど救援で活躍したのが元横浜(現DeNA)の西清孝だ。  西は兵庫県立東灘高でエースとして活躍。ドラフトで指名されなかったため、阪急、南海、阪神の入団テストを受け、唯一合格した南海に入団する。1985年から5年半の在籍期間で計5試合の登板に終わり、90年のシーズン途中に松井隆昌とともに、榊原聡一郎、本村信吾との交換トレードで広島に移籍した。一軍で目立った活躍ができなかったが、90年は2球団で計11勝を挙げ、ウエスタン・リーグの最多勝を獲得している。三振をバッタバッタと取るタイプではないが、内外角を丹念に突いて打たせて取る投球で、先発、救援とどのポジションにも順応できるのが強みだった。  ただ、マウンドで強烈なインパクトを与える投手スタイルではないので、一軍からなかなかお呼びがかからない。広島での3年半でも未勝利に終わり、93年オフに戦力外通告を受ける。一時は現役引退を考えたが、横浜に打撃投手兼任としてテスト入団。94年は支配下登録だったが、打撃投手として1年間過ごした。普通の選手ならここで気持ちが折れてしまうだろう。だが、西はあきらめなかった。現役復帰を目指し、打撃投手を務める際は打者の許可を取り、正規の18.44メートルの位置から全力投球を行っていた。  夢を見続けたものだけが夢を叶えられる。当時の近藤昭仁監督が西の右打者に食い込むシュートを評価し、95年に正式に現役に返り咲いた。マウンドに立つ喜びを胸に、右打者の内角を突く強気の投球で「遅咲きの星」になる。96年に救援で自己最多の22試合登板すると、97年に4月25日の中日戦(横浜)、サヨナラ勝利で白星を挙げる。プロ13年目の初勝利だった。「失敗したら終わり。いつもと同じつもりで投げました。無我夢中でした。この1勝で終わらないように頑張りたい」。西は打撃投手のときも、ファーム暮らしが続いたときも、ひたむきに練習に取り組み、謙虚な姿勢で先輩からも後輩からも人望が厚かった。苦労の末つかんだ特別な白星に、ナインたちは大喜びし、涙を流す選手もいた。

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