【船井電機】原田会長が『民事再生』の申立書を週明けにも提出へ 突然の破産手続きと解雇の裏で会社に一体何が?過去には「上場廃止」や「巨額の資金流出」などの動きも
かつて“世界のFUNAI”と呼ばれた大阪の家電メーカー「船井電機」。今年9月に経営陣を刷新し、再建に乗り出した矢先に起きた突然の破産。なぜ、会社の「存続」ではなく「消滅」を意味する破産手続きをとったのか?“異例づくめの破産”までを取材しました。 【画像を見る】カリスマと呼ばれた創業者の船井哲良氏
一時は大手メーカーをしのぐ利益率 船井電機のこれまで
東京地裁が受理した破産事件の記録。その債務者の欄には「船井電機」と書かれています。 今年10月、破産手続きの開始決定を受けた大阪府大東市の船井電機。ここで働いていた500人以上の社員が突如、職を失いました。破産手続きの開始決定が出たこの日は、実は給料日の前日。社員は急遽、本社食堂に集められ、その場でこう言い渡されたといいます。 (説明会に同席した弁護士)「みなさんはきょう付で解雇ということになります。申し訳ありませんが、今月分の給料は出ません」 突然の解雇通知に社員らも戸惑いを隠せませんでした。 (元社員)「もう笑うしかないみたいな感じでした。起きたことは仕方がないので」 (元社員)「何も考えていない状態で破産という話を聞いた。生活の不安もあります。FUNAIブランドに誇りはありますし、それがなくなってしまうのが自分の中ではショックです」 「FUNAI」ブランドで一時代を築いた船井電機は、1961年、ミシンの卸売り業を営んでいた船井哲良氏が創業しました。 1990年代に入りテレビとビデオが合体した「テレビデオ」で一世を風靡すると、2000年代には液晶テレビの生産を開始。“高機能ではないが低価格で品質は悪くない”、そんな特性が支持されて北米でトップシェアを獲得するなど、一時は大手メーカーをしのぐ利益率を誇る企業に成長しました。 一代で“世界のFUNAI”を築きカリスマと呼ばれた哲良氏。かつて取材にこう話していました。 (船井電機 船井哲良社長※当時 1999年)「できるだけ皆さんに説明して、株主からのいろんな意見を参考にしながら経営を進めていきたいと思っています」 しかし、その後は中国企業などとの価格競争に敗れ、業績は悪化の一途。哲良氏が亡くなると、創業家は外部の経営者に立て直しを託します。