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テニアン島で戦死の兄 76年ぶり届いた遺品 「家のことは心配せず…」 出征激励の手紙、米兵家族が保管 遺族「平和引き継ぐ」 鹿児島

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南日本新聞

 太平洋戦争中、マリアナ諸島で20歳で戦死した旧日本兵の西田保さん=瀬戸内町加計呂麻島出身=に宛てた家族の手紙が11日、弟の俊男さん(91)=同町於斉=に返還された。元米兵が米国に持ち帰ったとみられ、米兵の家族が保管していた。76年ぶりに届いた遺品に俊男さんは「感無量。平和な世の中になるよう額に入れ、子や孫に引き継いでいきたい」と語った。 【写真】西田俊男さんが兄の保さんに送った手紙。「勉強して(飛行練習生に)見事合格して見せます」などとつづっている

 保さんは1944年1月、長崎県佐世保市の相浦海兵団に入団。第54警備隊に配属され、同年8月10日に戦死した。部隊の最後の駐屯地はグアム島だったが、家族は日米両軍の激戦地となった北マリアナ諸島のテニアン島で亡くなったと伝えられたという。  手紙は、保さんの両親と姉が連名で出した44年2月付と、俊男さんが同じ頃に送った計2通。   連名の手紙は「近頃寒さが続き、砂糖製造準備のため多忙」と近況を報告。保さんが帝国軍人になり、知人から祝福された事をつづり、「家の事は少しも心配せずお励み下さい」と激励する。  俊男さんの手紙は寮生活だった鹿屋農学校1年時のもの。「来年は飛行練習生に合格して兄上と共に米英倒打に邁(まい)進する」と記し、帰郷したら「田舎のニュースをお知らせ致します」と気遣う内容になっている。返事はこなかったという。  町などによると、元米兵の家族が昨秋、外務省を通じて返還を申し出た。厚生労働省と町による調査で今年6月、保さんの遺品と判明した。俊男さんは「戦後も兄を思ってきた。手紙が戻り、天国の両親やきょうだいも喜んでいる」と感慨に浸った。

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