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THE BACK HORN山田将司の唄う意味とは。休止期間の思いを語る

配信

音楽と人

THE BACK HORNが6月24日に新曲「瑠璃色のキャンバス」を配信リリースした。彼らは新型コロナウイルスの影響で、活動自粛を余儀なくされたのはもちろんなのだが、ヴォーカル・山田将司が抱えていたポリープの影響で、昨年11月から活動を停止していた――。ここでは、『音楽と人』2020年6月号に掲載した山田将司の最新インタビューを掲載する。つらい経験を乗り越えた彼の言葉は、新曲に込められているであろう、熱い思いに繋がるはずだ。

    昨年秋、急性声帯炎および声帯結節の診断を受け、スタートしていた全国ツアーは延期。年明けにはポリープ切除の手術を受け、その後、治療に専念していた山田将司(ヴォーカル)。この間、いや、その前からずっと、彼は自分の声に苦しめられてきた。話を聞くと、そのプレッシャーは想像を絶するものだったようだ。唄い手としての責任感、そしてバックホーンというバンドのヴォーカルとしての矜持。いろんなものがまとわりついて、唄うことを楽しめずにいた。しかしこの休止期間で、彼は自分がここで唄う意味を、否応なく考えさせられたようだ。5月末から予定されているツアーの振替公演は、コロナウイルスの影響で、現時点で開催できるかどうかわからない。しかしもう大丈夫だ。この辛い経験を通して、彼はとても大きなものを手に入れた。

うまくいかないことにフラストレーションが溜まっていた

――三密にならないところでインタビューしようと、多摩川の河川敷に来ました(4月中旬に取材)。 「ね。多摩川来るのも久しぶりだな。ちょっと前まで住んでたから」 ――さて。世の中はいろいろ大変なことになっていますが、将司にもこの半年近く、大変なことが。 「そうですね。大変だったな、ほんと」 ――それこそ音楽と人のイベントに出てもらった直後で……(註:音楽と人LIVE2019〈豊洲ナイトカーニバル〉に出演)。 「そうだ。音楽と人のイベントで唄ったからだ!」 ――やめなさい。 「あはははははは!」 ――そういう冗談言えるくらいは回復してる、と。 「ですね(笑)。まあ急にこうなったわけじゃなくて。正直に言うと5年くらい前から、声がうまく出せなくなってきたっていうか、悪い癖がつき始めちゃって」 ――癖っていうのは唄い方ってこと? 「力が入りすぎて、高い声がスッと出せなくなってきちゃったんだよね。ずっとその状況と格闘しながらライヴやって、休みの日はボイトレや、スポーツトレーナーさんや病院のリハビリに通ってたんだけど、なかなか完全に回復しなくて。ここ半年から1年は、声が出る出ないじゃなくて、精神的に疲れてたんだよね。自分の喉と向き合うのに疲れてた」 ――日々悩んでたんですね。 「もう毎日悩んでたね。喋ることさえ疲れちゃうくらいだった。どこ行っても喉のこと考えるし、朝起きたらちゃんと声が出てるか確認して。リハの前もリハのあとも寝る前も、ずっと考えてたから」 ――いつ頃からそんな状態だった? 「自分ではそのきっかけ、わかってるんだ。2014年、冬のマニアックヘブン(註:THE BACK HORN企画ライヴ)の時、風邪ひいたんだよね。でもライヴは待ってくれないから、ステロイド飲んでやったんだけど、たぶんその時、声帯が炎症を起こしてて、それがうまく合わなかったんだよね」 ――左と右の声帯が狭まって、合わさることで声が出るからね。 「それが合わないから、その日は無理やり声帯の周りの筋肉をウーッて締め付けて声を出してたんだけど、それ以降、そうしないと高い声が出せなくなっちゃった」 ――それが癖になったんだ? 「うん。それがここ半年から1年くらいで、いよいよ本当に悪くなってきてたから、ツアー終わったら手術することに決めてたの。その直前だったんだけど、もう耐えきれなかったね」 ――手術は無事に? 「終わってちょうど2ヵ月くらい経ったけど、声を出す時の癖がまだ取りきれてなくて、まだ唄う時に力が入っちゃうから、それを治すために今頑張ってる。声帯の調子はいいみたいなんだ」 ――ステロイドは身体にいいわけじゃないもんね。 「それももう、15年くらい飲んだり打ったりしてたからね。最初の日本武道館の時(2008年)も、本番数日前にステロイドの点滴打ちに病院行ってたし。音楽と人のライヴの2週間前もそうだった。ラジオで弾き語りがあるのに風邪ひいて、喉が枯れてたから、病院で相談したの。そしたら唄う10分くらい前に、喉にピュッてかけたら声が出るアドレナリンの薬があるって聞いて。それを使ったの。炎症が一瞬にして治まって、30分くらい持続するってやつ」 ――それ、逆に怖いね。 「救命の時とかに使うやつらしい。身体にいいはずないよね。で、音楽と人のライヴでも声がかなり出なかったから、次の日、熊谷のライヴでそれ使ったの。そしたら10曲目くらいから突然、何も声が出なくなっちゃって」 ――掠れるとか、高音部が出ない、とかじゃなくて? 「もう音にならないの。声帯が合わさってくれない。一生懸命声出そうとしたけど結局出なくて。だからその日楽屋で……その3日後もライヴだったのかな」 ――ツアーで札幌が控えてたね。 「そのライヴは飛ばしたほうがいいんじゃねぇかってメンバーが言ってくれて。俺、なかなか自分からは言えなくてさ。で、2週間後にツアー再開したんだけど、だましだましやってる感じが拭えなくて。そんな状況に俺のメンタルがヤラれてるのがわかったんだろうね。年末のカウントダウンが終わったあと、社長がツアーを延期しようって言ってくれたんだ。手術を前倒しにしようって」 ――延期しようって言われた時の気持ちは? 「『わかりました。そうしましょう』ってなかなか言えなかったね。社長は『メンバーがボクサーなら我々はセコンドだから、今回はタオルを投げる』って言ってたけど、ボクサーは自分から試合やめますなんて絶対言えないから。でももう限界だったね。さっき話したラジオの弾き語りの時も『もう、喉と向き合うことに疲れちゃったな……』ってマネージャーにこぼすくらい、精神的に疲れてた」 ――生活面でもいろいろ考えてたもんね。 「うん。リハビリの仕方や食生活の改善。運動に日常での喋り方、毎日のケア。いろいろ試してみたけど、楽しくないし、良くならないし〈何やってんだろう、俺〉って、もう嫌になってた。だから喉がヤラれちゃったというより、うまくいかないことにフラストレーションが溜まりすぎてたんだよね」 ――変な話、自分でうまく唄えてるな、喉の調子がいいな、って思えたのっていつのライヴ? 「えーっとね…………2017年の秋の野音かな(註:10月21日/KYO-MEIワンマンライブ~第三回夕焼け目撃者~)。声が出にくくなって3年くらい経ってたけど、その日はボイトレの先生がついてくれてさ。その頃、いろいろ考えすぎて、先生に教えられたことに1人だと向き合いきれなくなっちゃってたんだよね。だからその日は精神的にも落ち着いて、ちゃんと唄えた記憶がある。もうその頃から、必死で絞り出さないと高い声は出にくくなってたから」 ――でもそうやって必死で絞り出す姿に、リアルな感情が宿ってたけどね。 「いや、絞り出す姿は違う形で見せたいよ。あの頃から、俺のそうやって唄う姿が痛々しく映ってたと思う。音人のイベントの楽屋でもTOSHI-LOWさんに言われたよ。『将司、ちょっとキツいこと言うかもしんねぇけど、正直、見てて辛い』って。『ちょっとキーを下げるとか、もっと休み作るとかしないと、お前のヴォーカリスト人生も危ないぞ。将司にはずっと唄っててほしいからさ』って。その時栄純も一緒にいて『栄純、将司のこと頼むよ』って言ってくれて」 ――そんなこと言ってたんだ。 「いろんな人が心配して連絡くれたよ。実は俺もポリープの手術するんだよ、ってヴォーカリストもいたし、吉井さん(吉井和哉)からも連絡もらった。マツ(松田晋二/THE BACK HORNドラム)が吉井さんに連絡してくれたのか、吉井さんが気にかけてくれてマツに連絡したのかわかんないけど。大阪の病院の先生を紹介してくれて。その2日後くらいにすぐ行って、いろんなアドバイスを受けた。手術して声が変わった人もいるし、ローが出なくなるからやめたほうがいいって人もいた。でも、この状況を良くするために何か変えたかったし、声帯に結節っていうか炎症みたいなものもあったから、手術することに決めたんだよね。それをきっかけに生活をガラッと変えようと思って。引っ越しもしたし、酒も……もう4ヵ月呑んでねぇのかな」 ――昔、一緒に15時間呑み続けた将司がそんなに呑んでないんだ? 「いや、5ヵ月呑んでないな。あと神棚買ったよ。家に設置して、朝起きたら榊の水替えて、祝詞唱えてる」 ――それは何で? 「自分の心と向き合って、毎日に感謝して生きたかったし、自分の気持ちをしっかりしたところに置きたくて。結局、何か原因があったから、声が出なくなったと思うんだ。もちろん酒も原因かもしれないけど、じゃあ酒を呑まなくちゃやってらんねぇ気持ちになってたのはなぜかとか。そうやってどんどん根本をたどっていくと、生活のスタイルかもしれないし、自分が捨てきれないでいるものかもしれないし、要らないものをずっと取っといたからかもしれない。そういうのを全部1回綺麗にしようと思ったんだよね」

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