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広島・旧陸軍被服支廠解体案をめぐり戦争遺構の意義と保存の現実を見つめる

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ザテレビジョン

8月1日(土)の「テレメンタリー2020」(毎週土曜深夜4:30-5:00[日曜朝4:30-5:00]、テレビ朝日、※系列各局で放送)は、広島市南区にある旧陸軍被服支廠(ししょう)の解体案をめぐり、被爆建物の意義と保存の難しさの間で板挟みになる平和行政の実情を追った「揺れる平和都市 ~被服支廠は残るのか~」を放送する。 【写真を見る】爆風の威力を物語るゆがんだ鉄製の窓 広島市南区にある旧陸軍被服支廠は、現存する最大級の被爆建物だ。1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾の爆心地から約2.7kmに位置し、原爆投下後には臨時救護所としても使われ、多くの人が亡くなっていく惨状を目撃した「物言わぬ証人」でもある。 2019年12月、広島県は管理する旧陸軍被服支廠3棟のうち1棟のみを保存する案を示した。その方針表明をきっかけに、被爆者団体や市民らからは存続を求める声が上がり、全棟存続か一部解体かの議論になっている。 かつて、同じように解体案があった原爆ドームは存続され、原爆被害の象徴となった。負の遺産を解体しなかったことは英断として評価されている。 被爆建物の持つ力を知る広島で、なぜ今、解体の議論が起こっているのか。行政の協議録をひもとくなどして被爆建物保存の難しさを検証。当時を知る被爆者の証言や資料をもとに被服支廠の歴史的価値も確認し、被爆75年の今、あらためて被爆遺構・戦争遺構の意義を考える。 制作は、広島ホームテレビ。担当プロデューサー・上重三四郎、担当ディレクター・山口和政。ナレーターをフリーアナウンサーの冨田奈央子が務める。 広島市出身の冨田は、「子どものころは地元の何気ない景色の一部にある被爆建物として見ていて、現存していることが当たり前のように思っていました。存続が議論される今、被爆者にとっては保存と解体、両方の気持ちが交錯する建物であることを今回初めて知ることができました」と述べている。 制作局の広島ホームテレビでは、8月6日(木)朝9:55より同番組を放送。制作を担当した上重プロデューサーと、山口ディレクターに取材した。 ■ 「被爆建物にどう向き合うべきかを考える機会になれば」(上重P) ――まず、番組制作のきっかけと、制作意図をうかがえますか? 上重P:2019年12月、広島県が被爆建物である旧陸軍被服支廠の一部解体案を表明したことが番組制作のきっかけです。被服支廠は被爆後には救護所として使われ、多くの人が亡くなっていく様子を見届けた建物です。行政が活用策を検討していることは認識していましたが、「解体」という案は突如出てきた印象で、驚かされました。 原爆ドームをはじめ、広島では被爆建物の活用に取り組んでいます。建物は無言ながらも、二度と原爆を使用してはならないというメッセージを発信しています。被爆建物の力を知っている広島で、なぜ一部解体という判断がなされたのか、「平和行政の現実」を調べようと思いました。 情報公開請求で入手した資料には、広島県が国や広島市と協議をして判断を固めていく経緯が記されていました。資料を読んでいくと、行政の間にもさまざまな考えがあり、判断されるまでに生々しい意見が交わされていたことが分かりました。 被爆者の高齢化が進み、被爆の実相をどう継承していくか、残り時間はいよいよ少なくなっています。被爆建物の持つ意義と、行政側の判断を番組にすることで、今私たちが被爆建物にどう向き合うべきかを考える機会になればと思っています。 ――取材においてのご苦労、感じられたことをお聞かせください。 山口D:広島県が2019年12月に解体案を公表して以降、連日ニュースとなっていたため、番組が計画される前から自然と取材は始まっていました。被爆から75年がたち、当時を知る人が少なくなっています。ご病気で話せないという方もいらっしゃいました。被爆という辛い体験を話してくださる姿勢に、あらためて伝える責任の大きさを感じました。 ――旧陸軍被服支廠という被爆建物について教えていただけますか。 山口D:陸軍の軍服などを製造・貯蔵する施設として1913年に完成しました。外観に見える壁は赤レンガ造りですが、柱や梁(はり)などは鉄筋コンクリート造りの全国でも珍しい構造です。およそ100m×25m、高さ15mの倉庫が、国所有も含めると4棟残っています。 爆心地からは南東に約2.7kmの場所にあり、現存する被爆建物では最大級の規模です。原爆投下直後に救護所となり被爆した多くの人が押し寄せました。その中には命を落とした人も多くいて、建物の近くで遺体が火葬されたそうです。 当時は周辺に軍需施設が集まっていて、戦地に兵力や物資を送る軍需拠点となっていました。被爆の実相を伝えるだけでなく、軍都広島の面影を残す建物として保存を願う声が高まっています。しかし、保存には最大84億円もの費用を必要とする財政的な事情が課題となっています。 ■ 「75年前を想像させる建物をいかに残すべきか、議論が深まるきっかけに」(山口D) ――「被爆遺構・戦争遺構の意義」について、番組はどのようなアプローチをなさるのでしょうか? 上重P:建物が当時どういった使われ方をしていて、原爆によってどんな運命をたどったかを知ることによって、その被爆建物が持つ意義を見いだせるのではないかと考えました。今回取り上げた被服支廠は、軍都広島を象徴する建物であり、被爆後は救護所として原爆の悲惨さを体験してきました。 番組では、戦中や被爆後の被服支廠の様子を知る人へのインタビューなどから建物の背景への理解を深めてもらえるようにしました。このほか、原爆ドームや平和公園内のレストハウスといった被爆建物についても触れ、被爆建物が現存していることの意味をあらためて考えました。 ――取材、番組制作を通じて抱かれた思いをお聞かせください。 上重P:費用などを考えなければ、被服支廠を「全棟残す」ということが望ましいことは一致していると思います。ただ、財源の問題も合わせて考えなければ現実的ではないと感じました。 現地に行くと分かりますが、被服支廠4棟はかなり巨大な施設です。これだけの規模の建物を効果的に活用する方法を見つけ出すのは容易ではないと思います。 私たちが「残してほしい」と望むなら、将来を見据えてどう使っていくべきかも一緒に考えることが必要です。 今回、反発が起きたのは、行政の中だけで結論を出したからなのだと思います。行政側は議論をオープンにし、住民側は活用策について積極的に意見を出し、その上で建物をどうするべきかを判断する、といった手順を踏んでいく必要があるのだと思いました。 山口D:被服支廠は当時の姿を残す数少ない被爆建物の一つです。番組では特別な許可を得て建物内で撮影を行いました。20年以上使用されず今は何もない倉庫ですが、中に入れば75年前に何があったのかを自然と想像させられます。 現地で証言をしてくださった小笠原さんは倉庫に入ると手を合わせていました。建物には原爆の凄惨さを伝える力が確実にあると実感します。 しかし保存には多額の投資が必要となります。「どの程度の規模を残し、どう活用するのか」を住民も行政も、より積極的に議論がする必要があると感じました。平和のための遺産が、将来に負担となる遺産となってしまっては本末転倒です。 広島県が公表した解体案は見送りとなりましたが、多くの人が被服支廠の今後を考えるきっかけとなりました。この機会を逃さず、議論が深いものに進展してもらいたいと思います。 ――最後に、番組を通じて訴えたいこと、全国の視聴者に伝えたいことをお聞かせください。 山口D:「遺構の保存」と「必要な費用」という課題は全国共通ではないでしょうか。まずは広島の実情を知っていただき、それぞれの地域に置き換えて考えてもらうきっかけになればと思っています。 上重P:広島に限らず、被爆遺構や戦争遺構は存在します。そうした遺構の活用について行政任せになっているケースが多いのではないでしょうか。 戦後75年、当時を知る人たちは少なくなっています。当時の記憶を風化させず、これからの世代に継承していくためにも、いま私たちが関心を持つことが大切だと思います。遺構の背景を知り、その意義を考えてみることは、自分から関心を持つことの一つの例になるのではないかと思います。 被服支廠の問題はまだ結論が出されていません。今後の活用策を探る議論の推移などについて引き続き、ディレクターとともに取材を続けていきたいと考えています。 (ザテレビジョン)

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