「羽生善治先生は負けたときも次の日の朝には…」 タイトル戦“定番ホテル”視点で見た数々の名棋士伝説
デビュー当時からイケメン棋士として人気を博している斎藤慎太郎八段が、初戴冠を果たしたのが2018年の秋。その王座戦第5局の対局場となったのが、常磐ホテルの離れ「九重」だった。 【記事の写真を見る】藤井聡太二冠ら名棋士の色紙がズラリ…名局の数々が行われた“定番ホテル”の豪華な内外装(10枚超) 「斎藤王座誕生のときの満面の笑みが忘れられませんね。観戦記には涙ぐんでいた一面があったと書かれていましたが、感想戦が終わって対局室を出てからはすがすがしい笑顔でした。結果を出してホッとされた素の表情だったのではないでしょうか」 こう語るのは常磐ホテルの執行役員営業部長の小沢行広さん。ここで開催される将棋と囲碁のタイトル戦を担当する敏腕ホテルマンである。
皇室御用達の宿と将棋界は半世紀以上前から
常磐ホテルは1929(昭和4)年創業の老舗旅館だ。皇室御用達の宿としても知られており、歴史と伝統を誇る甲府の迎賓館として愛されてきた。 将棋界や囲碁界との関わりも深い。初めて行われた対局が1954(昭和29)年、大山康晴王将に升田幸三八段(棋士の肩書はいずれも対局当時のもの)が挑戦した第3期王将戦第6局。当時は持ち時間が2日制の10時間で行われていた。
「会長が山梨出身の米長先生だったことも」
「記録としては残っているのですが、私もまだ生まれていませんし、当時を知るスタッフが誰もいないものでして。先々代の社長が将棋と囲碁に造詣が深かったようで、長年にわたって囲碁の名人戦を開催していただいております。将棋は王将戦以降、間が開いておりましたが、名人戦が(朝日新聞と毎日新聞の)共催になったタイミングでご縁をいただきました。当時の会長が山梨県出身の米長邦雄先生だったことも大きかったのではないかと想像します」 小沢さんは対局のお世話はもちろんのこと、主催社との打ち合わせから、関係者の送迎までのすべてを請け負っている。マイクロバスのハンドルを握りながら業務連絡をする担当者は小沢さんぐらいのものだろう。 「もちろんうちの社員と協力してタイトル戦のお手伝いをさせていただくわけですが、アテンドで駅までお迎えにあがるわけで、それなら自分で運転しちゃっても一緒かなと。皆さんの荷物の積み降ろしをする社員を1人同行させて甲府の駅に向かっています」 タイトル戦にとって、取材本部は対局室に続く大事な部屋のひとつだ。主催する新聞社によってレイアウトががらりと変わってくることは意外と知られていない。現在はコロナ禍で密にならないように机の間隔を大きく開けているが、それまでは机をいくつかの島になるように組んだり、全員が前に置かれているモニターが見やすいスクール式にしたり、各社の希望を聞いて翌年からはそれを踏襲してきた。 「各新聞社の部屋の配置もデータのひとつとしてすべて保存してあります。どうしても現在はコロナが大きく関わってきますので、時代の流れとともに阿吽の呼吸で臨機応変に対応していければと思っております」