殿堂入りした巨人・斎藤にあった二刀流からの転機
ゲストスピーカーの堀内氏は、「謝らねばならないことがある」と、巨人か、中日か、勝った方が優勝となる1994年10月8日にナゴヤ球場で行われた中日戦のエピソードも続けて紹介した。 「長嶋さんが、試合前に『勝つ、勝つ、勝つ』と言った、中日との10・8決戦では、斎藤は内転筋を痛めていた。先発の槙原がフラフラだったので早めのスイッチになったが、多くのイニングを投げてもらって、桑田につなげた。シリーズも本来ならばエースの斎藤が開幕のはずだったが、内転筋の影響で3戦目になって、早めに降板した。ピッチングコーチとして悔やまれる。あの怪我があったから180勝で止まったと思う」 10・8決戦では先発の槙原が2回に同点にされると、なお無死一、二塁のピンチで斎藤が緊急リリーフ。中1日の登板だった。斎藤はテーピングで故障箇所をグルグル巻きにして、6回裏まで中日打線を1失点に抑えて桑田につなぎ、この試合の勝利投手となっている。 「あの試合の確か4回くらいに軸足の右を痛めたんです。でも『もう一回行け!』と言われて投げた。あのビッグゲームの経験が、その後の野球人生の自信になった。あれ以上怖いゲームはなかったわけですから」 大きな転機となる1勝だったという。 斎藤は、来季から巨人の2軍監督として次世代の斎藤作りに乗り出すことになった。 「若い選手を育てていくのが僕の仕事。こういう歴史を伝えていきたいし、僕自身ももっと知らないことを勉強していきたい。内海のように金田(正一)さんの名前を間違えるようなことがあってはならないから」 先人に学ぶことの重要さを、斎藤は候補者となって9年目につかんだ殿堂入りの機会に改めて考えたという。それこそが殿堂表彰の意義のひとつなのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)