『電波少年』生みの親・土屋敏男が語る、番組人気の意外な落とし穴「アポなしなのにバレる・歓迎される・官公庁でマニュアルが作られる」打破するための方法
『進め!電波少年』(1992~2002)の「T部長」として知られるテレビプロデューサーの土屋敏男。アポなし企画で大人気となった『電波少年』が生まれた背景は? THE CHANGEに迫る。【第2回/全2回】 ■【画像】『電波少年』生みの親、伝説を作った「T部長」 番組はあっという間に話題になって、中学生、高校生の男の子たちが「めちゃめちゃ面白い」って反応してくれたんです。視聴率も悪くありませんでした。約束の3か月が近づくと、当時の制作局長から「うちの高校生の息子に、日本テレビで何が面白い? と聞いたら『電波少年』がダントツに面白いって言われたんだよ。だから番組はもうちょっと続けるわ」って言われました。だから番組が続いたのは、制作局長の息子さんのおかげです(笑)。 番組の続行が決まれば、アクセルはベタ踏みです。首相官邸にも行きますし、栃木の暴走族のところにも、右翼のところにも行きました。あと、大手広告代理店にも行って怒られました。これは放送できなかったけど(笑)。みんなアポなしのガチですよ。怒られることもたくさんありましたけど、当時はイケイケドンドンなので、「上等じゃねえか! 番組スタッフを引き上げてもう辞める。どうぞ来週から好きな番組を作って下さい」って言い返していました。視聴率が良くて怖いものなしだったので、本当に強気でしたね。ただ、番組の続行の判断をしてくれた制作局長からは「一度は、“分かりました”と返事をしろ、それが会社なんだ」と諭されましたね。 こんな調子でアポなしのスタイルで番組を続けていくと、日本中で、番組自体が知られるようになっていきます。そうなると、松村や松本が行くだけで、「あ、電波少年だ!」ってバレてしまいます。すると、企業によっては番組を受け入れたほうが得になると判断されることが多くなって、歓迎されるようになってしまいました。これだと企画の面白さは半減ですよね。
みんな、僕のことは恨んでいると思います
さらに官公庁でもマニュアルができてしまったようで、ネタにならないように淡々と冷静に対応されるようになりました。 こうなってしまうと、アポなし企画はできなくなります。そこで方向性を変えるために考えたのが、当時、まだコンビだった有吉弘行の所属する『猿岩石』がユーラシア大陸を横断するヒッチハイク企画だったんです。 有吉の他にも、番組からは、懸賞だけで生きていかれるか挑戦した『なすび』などが有名になりましたが、みんな、僕のことは恨んでいると思います(笑)。 その後は、当時の日本テレビの社長が、面白がって僕を編成部長に任命します。これは実は出世コースでもあるんです。ただ、部下を査定する業務をすると、死ぬほど頭痛がするようになりました。本当に死ぬかと思ったんですよ。そこで上司に「僕は管理職には向いていないです。部下をゼロにしてください」って頼み、“局長待遇”ということで、査定をしなくてよい立場にしてもらいました。 結局、その後も何かしらの制作に携わり続けました。テレビのゴールデン番組をやると老害になってしまうのでやりませんでしたが、VRでドラマを作ってみたり、NHKと一緒に番組を作ってみたりしました。今は豊田市でケーブルテレビの番組を作ったり蒲郡で映画を作ったりしています。とにかく「今ないもの」の新しいことの挑戦を続けています。 土屋敏男(つちや としお) 1956年生まれ 静岡県出身。日本テレビのプロデューサーとして活動。代表作は『進め!電波少年』(1992~2002)で、最高視聴率30.44%を記録した。44年勤めた日本テレビを2022年9月末で退社。現在、社外アドバイザーとして契約している。 THE CHANGE編集部
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