“生け捕り部屋”で暴力、局部に“通電”も…拷問を受けた元部下が明かす、死刑囚・松永太との想像を絶する生活〈北九州監禁連続殺人〉
膝にくるぶしに腕に…今も残る“通電”の痕跡
さすがに心臓の近辺は命にかかわる危険があるということで、通電することは避けていたそうだ。 そこで私は山形さんに質問する。 「まだ傷は残っているんですか?」 「残ってますね」 「見せてもらうことは可能ですか?」 「あ、いいですよ」 私は過去に何度か山形さんに、通電によってできた傷を見せてもらっているが、久しぶりのことだ。彼は93年1月以来、松永とは顔を合わせていないため、今回のものは約31年前までの虐待の痕跡ということになる。 最初に山形さんが見せてくれたのは、右足の膝の裏側。幅約1.5cmのタイヤ痕のようなケロイドがはっきりと残っている。 「ここに巻いた電気コードが熱を持った際にできた火傷ですね。もう一方はどこか体の別の部分に当てたんでしょう。同じようにあるのが……」
そう言うと、彼はくるぶしを指差した。そこにもはっきりと、電気コードを巻きつけた際にできたような痕が残っていた。 「あと、腕の方かな……」 右腕の肘から手首に向かって7~8cmの位置で、周回するように、梱包用ロープを巻いた痕の如きケロイドが残っている。 それらは、たとえ30年の月日が経とうとも消えない、過去の恐怖と痛みを記録した「刻印」のようでもある。
指を背面に反らされて、今も左右の指を真っ直ぐ伸ばせない
通電の痕跡を撮影する私に対して、山形さんは切り出す。 「それからねえ、俺、左右の指が真っすぐ伸ばせないんですよ」 そう言うと、左右の指を目の前に並べた。見ると、左右の小指の第二関節が、いびつな形状で隆起している。 「これはねえ、剥離骨折で真っすぐならんようになったんです。こうやってね、何度も後ろ側に反らされたわけです」 山形さんは左手で右手小指を握ると、背面に反らすような状況を作って見せた。尋ねると、いずれも坂田さんにやられたという。 「社内で布団の売上の目標を立てて、1週間でどれだけというのを達成できなかったときにやられました。松永も自分でやるのは面倒くさかったんやろうね。坂田が逃げ出すまでは、自分でやらずに坂田にやらせてました」 従業員は全員、松永について怖いという印象を抱いていたと山形さんは語る。 「全員、松永の前では直立不動の姿勢でしたから。坂田とか、他の従業員からも怖い人やって聞いとったし……」