“生け捕り部屋”で暴力、局部に“通電”も…拷問を受けた元部下が明かす、死刑囚・松永太との想像を絶する生活〈北九州監禁連続殺人〉
電気コードの針金を押し当てる“通電”という虐待
これらの社員が在籍していた85年4月頃、松永はワールドの経営が苦しいにもかかわらず、自宅があった場所に、事務所兼自宅の3階建てワールド本社ビルを新築している。 後に松永と緒方によって殺害された7人に対して使われた、虐待の手段である“通電”は、このワールド本社ビルが完成した1カ月後、つまり85年5月頃から、同ビル内で頻繁に行われるようになった。 02年に逮捕された松永と緒方に対して、福岡地裁小倉支部で開かれた彼らの一審では、検察側が“通電”について以下の説明をしている。 〈松永は、昭和60年5月ころ、野間が山形に対し電気コードを二股に割き、むき出しにした針金を腕等に当てて通電したと聞き知るや、自らも同様の方法で、野間、武田、山形ら従業員らに対し、その手足、胸、背中、肩、顔面等に通電したり、従業員ら相互に通電させたりするようになった〉
“通電”は手や足、額や局部にも…
山形さんは言う。 「本社の方で俺がなんか粗相をして、こっちに居れと、会社が借りていたO町のアパートにいたんです。そこで野間が遊びの延長で俺に伸びた電線の片方を握らせて、もう一方の端を俺の腕に当てた。そうしたら、腕の筋肉が硬直してピクピクってなるじゃないですか、それが面白かったみたいです。それで腕から、今度は足のふくらはぎに場所を変えたりするようになって……」 山形さんが通電によって昏倒したことで、松永は楽しそうに「それ、いける」と笑い転げ、以来、ワールド社内では通電が虐待に加えられることになった。 従業員への懲罰で、松永から「デンキをしろ」との声が上がる。するとその他の社員が、当該社員の身体を押さえつけて器具の準備を始め、通電の虐待を加えていたのだ。 しかも、何度も繰り返すなかで、できるだけ傷を残さず、命までは奪わないようにと、まるで研究のように人体のあらゆる場所へと通電を行う「改良」の作業が行われていた。 かつて山形さんは私に語っていた。 「私は手や足だけでなく、額や局部にもデンキをやられました。延べで100回以上はやられました。手や足は電流が流された途端に硬直するような感じで、やがて電熱線のように熱せられたコードが皮膚に食い込み、焼けただれます。 額はいきなりガーンと殴られたようなショックがあります。局部はもう言葉に表せません。蹴られたとき以上の衝撃と痛みでした。松永だけでなく、それをやる他の社員もニヤニヤと嬉しそうにやっていました……」