コロナ禍でも快進撃続く「ニトリ」 なぜ消費者に支持されるのか
北海道の小さな家具店として1967年に創業した「ニトリ」。いまや日用品からショッピングモールまでを手がける巨大企業に成長した。「お、ねだん以上。」のキャッチフレーズは、あまりにも有名だ。創業者の似鳥昭雄会長が一代で築き上げた「ニトリ」はコロナ禍でも業績を拡大させ、快進撃を続ける。何故、それは可能なのか。そして似鳥会長は、どのようにして成功を手に入れたのか。その秘密を徹底的に聞いた。
家具専門店からの脱却で成功
―――33期連続で増収増益と絶好調です。ニトリの強みは、どこにありますか? 全国に600店舗以上あるという販売力、そして商品のデザイン、スタイル、構造など全てオリジナルで製造し、他社と比べて販売価格を何割か安くできるのが、1番の強みです。品質はもちろん、機能もドンドン他社にはないものを作る。あとは、品数が豊富なのでニトリの商品だけで家の中をコーディネートできることだと思います。 ―――いまは、家具と日用品の比率は? 家具や日用品は、1万4000点以上あります。売り上げに占める家具の割合は37%ですね。家電も扱うようになりました。27歳の時に米国研修に行きましたが、その時すでに家具専業店が縮小、倒産しているのを目の当たりにしました。いずれは日本もそうなるなと思い、家具専門店からの脱却を目指しました。こうなるのに30年以上、かかりましたけどね。
成績はいつもビリ 高校時代はカンニングの名手
―――北海道の小さな家具店から、どのようにして巨大企業に成長できたのか? 経営者にロマンとビジョンがあると、意欲、執念、好奇心が湧いてくる。この5つがあれば、誰でも成功できると思います。 ―――いまや成功を手に入れた似鳥会長は、どのような子どもだったのですか? 小学校では当時、ひとクラスに60人の児童がいましたが、いつもだいたい成績はワースト3でした。親には「成績は1が1番よくて、5が1番悪い」とウソを教えていました。親は私が3年生くらいになるまで、そのことを信じていました。だから、近所の人には「うちの息子は勉強ができる。いつも1と2ばかりだ」と自慢していました。 ―――なんて我が子は優秀だと? 近所のお母さんたちも「仕方が無いね、聞いていてあげようか」という調子で、知らぬ顔をしてくれていましたが、3年間も4年間も聞かされていると飽きてきちゃって…。隣のおばさんが本当のことを教えたら、うちのお袋が「そんなはずはない!」って怒ってしまって。それで、学校に先生に聞いたら、「1が1番悪い」って言われましてね。その時は、お袋にガタガタにされてね。ホウキや鉄の棒で殴られて、立ち上がれなくなりました。 ―――高校時代も、勉強は引き続きあまり得意ではなかった? 全然できなくて、カンニング、カンニングでね。カンニングの名手だった。コツは、厚紙を作って答えを書いた紙を貼って、厚紙にゴムを付けて袖の中に隠すという仕掛け。あまり言えないけど、悪いこといっぱいやっていました。