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なぜトッティはローマを去ったのか? 「暗殺者」に受けた汚辱「君はお荷物だったんだよ」

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REAL SPORTS

2016年、フランチェスコ・トッティはASローマのディレクター就任契約の場で、「俺は副会長になりたい!」と言い放った。それはトッティが「暗殺者」と呼ぶ彼の天敵、コンサルタントのフランコ・バルディーニの挑発に対する宣戦布告だった。日本で3月刊行予定の『フランチェスコ・トッティ自伝』のクライマックスともいえるそのシーンは「推理小説の最後の場面がめくられた」という一節から始まる。 (文=沖山ナオミ、写真=Getty Images)

「暗殺者」とトッティが呼んだその男の正体は?

「推理小説の最後の場面がめくられた。暗殺者がすべてを暴露したのだ……」。トッティが「暗殺者」と呼んだその男は、現ASローマ会長ジェームズ・パロッタの右腕として、コンサルタントを務めるフランコ・バルディーニだ。 まずはバルディーニについて簡単に説明しておこう。彼は1998年ローマ元会長フランコ・センシにコンサルタントとして用いられ、1999年ローマのスポーツディレクターに就任した。2001年のスクデット獲得に貢献したガブリエル・バティストゥータ、ワルテル・サムエル、エメルソン、その後もクリスティアン・キヴ、アレッサンドロ・マンシーニ、フィリップ・メクセス、さらにはエリク・ラメラ、パブロ・オスバルドなど、ローマで活躍した主要選手を連れてきていることから彼の実力がうかがえる。 バルディーニは途中2度、ローマから離れている。1度目は2005年にローマを去り、ファビオ・カペッロに追従してレアル・マドリードのテクニカルディレクターに就いた。その後はイングランド代表でアシスタントマネージャーに就任し、やはりカペッロの傍らにいた。2011年再びローマに戻ったが、2年後、トッテナム・ホットスパーに籍を移した。その後、オリンピック・マルセイユの外部コンサルタントを務め、2016年7月からローマと3度目の関わり合いを持つことになる。 ローマとバルディーニの関係は中断期間があるとはいえ、およそ20年にわたる。彼はローマの歴史を築いた重要人物の一人なのだ。その彼をトッティが「暗殺者」と呼んだのは、刃(やいば)を向けられたから……。バルディーニは年俸の高いトッティをローマから排除することを長年にわたって企てていた。

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