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谷崎潤一郎が人妻達に宛てた口説き文句「鋭利な刃物でぴしぴし叩き鍛えてもらいたい」

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婦人公論.jp

7月30日は谷崎潤一郎の命日でした。彼は創作のインスピレーションとなった女性たちと膨大な量の手紙を交わしていました。妻の松子は『春琴抄』や『盲目物語』に、妹の重子は『細雪』に、松子の息子の妻・千萬子は『瘋癲老人日記』にそれぞれ投影されているとされ、3人のミューズに宛てた手紙には谷崎独特の視線や女性観が表れています。命日によせて、谷崎の“恋文”3通を紹介します 【当時の写真】文豪のインスピレーションの源となった女性たち * * * * * * * ◆松子には「奉公人らしい名前をつけて頂きたい」 昭和2年(1927年)、谷崎潤一郎は根津松子に初めて出会った。片や30代半ばの人気作家、片や24、25の船場の大きな綿布問屋・根津商店の若奥様(御寮人)。手紙をやりとりし、家族ぐるみの付き合いを続ける二人。 昭和5年、谷崎は千代夫人と離婚し、千代は佐藤春夫と結婚した。世間を騒がせたいわゆる「細君譲渡事件」である。ところが、翌年21歳下の古川丁未子(とみこ)と再婚。その一方で、谷崎は親しい人たちへ根津松子への思慕をかくすことをしなくなっていく。 その頃、世界恐慌の余波を受けて、根津商店は倒産。松子は、夫・清太郎の不貞も判明し、もはや清太郎との結婚生活を続けるメリットは何もない。しかし、谷崎との愛をこのまま押しすすめてゆくことは、結婚して間もない丁未子を決定的に傷つけることにもなる。 本書簡は、松子がそのようなジレンマに苛まれていた頃、谷崎から送られた恋文である。 *** 昭和八年(推定)一月(推定)十六日 潤一郎より松子 松子御寮人様 親展 十六日 潤一郎拝 御寮人様、もはや今日で五日間も御暇をいただいておりまして重々相すまないことでござります、明十七日午後にはどうあつても一度御機嫌を伺いに出るつもりでごさりますが第二信を差上げます御約束をいたしました故この文を御末に持たせてやります、 その後御寮人様には如何御くらしでいらっしゃいますか、根津様も乱暴なことはなさいませぬか、私はそればかりを御案じ申上げております、そして仕事をいたしながらも時々ぼんやりと御寮人様の貴き御姿を胸に浮かべて考へ込んでおります、(家来の身としてこんな勿体ないことを申しますのを御許し遊ばして下さりませ) わけても忘れられないのは先日御叱りを蒙りました時の御言葉の数々でござります、今でも私は御寮人様の御前に手をつかえているような気持ちでおります、此の気持ちさえ一生たゆみなく持ちつづけましたら御奉公にも誤まりがなく勤められることと思っております、先日も申上げましたように、「潤一がいないと不便だ」と思し召して頂けるようになれると存じます、 それから、一つ御寮人様へ御願いがあるのでござりますが、今日より召し使いにして頂きますしるしに、御寮人様より改めて奉公人らしい名前をつけて頂きたいのでござります、「潤一」と申す文字は奉公人らしゅうござりませぬ故「順市」か「順吉」ではいかがでござりましょうか。柔順に御勤めをいたしますことを忘れませぬように「順」の字をつけて頂きましたらどうでござりましょう。「潤一」の文字は小説家として売り込んでおりまする故 対世間的には矢張りそれを使いますことを御許し下されまして、御寮人様と御一族の御嬢様方は新しい文字を御使ひ下さいましたらば有難う存じます、どうぞ御考えおき遊ばして下さりませ、 尚々白状いたしますが、私の倚松庵という号は勿論のこと、花押の(中略)字も御名前の「松」の字を取りましたのでござります、しかし花押は自分の名前の下へ書きますもの故、勿体ないと存じますので、近いうちに改めるつもりでおります 源氏湖月抄及び現代訳の第二巻を御届けいたします、今の世に、御寮人様ほど源氏を御読み遊ばすのに似つかわしい方がいらっしゃいましょうか、源氏は御寮人様が御読み遊ばすために出来ているような本でござります では明日午後に御伺いいたします故 御目通りを御許し遊ばして下さりませ、 あゆ子、お末、終平、岡さん等にもはや妹尾さんより全部打ち明け了解ずみでござりますからそのお思し召しでお末にも御言葉をおかけ下さりませ、尚々他日適当な機を見まして、御主人としてお仕え申すのだということも私から話そうと存じております、 十六日    潤一郎拝 *** 出典:『谷崎潤一郎の恋文〈松子・重子姉妹との書簡集〉』(中央公論新社)/書簡番号三七 

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