清少納言と並ぶ紫式部のライバル・和泉式部。『光る君へ』では描かれない悲しい恋
◇和歌で“匂わせ”るなどスキャンダラスな恋愛 帥宮の邸宅には正妻が住んでいました。和泉式部よりもはるかに高い家柄である正妻は屈辱に耐えられず、侍女たちを連れて出て行ってしまったため、二人の恋は大スキャンダルに発展します。 当時の天皇家には、冷泉系と円融系の二つの系統がありました。両方の皇子が交代で天皇に即位していましたが、今回のドラマでは塩野瑛久さんが演じている一条天皇の時代になると、円融系が藤原家と結束を深め、勢力を強固にしていました。そのため冷泉系は徐々に権力の中心から外れていきます。 しかし、帥宮は皇位継承者の一人であり、その立場を考えると、安易な行動を慎むべきだという周囲の声が大半でした。 こうした周囲の視線に、帥宮は若者らしく反発します。和泉式部との恋愛が非難されると、さらに目立つ行動を取りました。桜の花見に出かけた際、帥宮は和泉式部を伴い、藤原公任の屋敷を訪ねました。公任は留守だったため、帥宮は一首の和歌を詠み、これを公任に渡すようにと家来に託しました。 その内容は「われが名は 花盛人(ふすびと)と 立たば立て ただ一枝は 折りて帰らむ〈花泥棒だと言われてもかまわない。この素晴らしい一枝を折って帰ります〉」というものです。 「一枝」は美女を意味します。この和歌を通じて帥宮は、和泉式部は自分のものであることを公然と宣言したのです。 また賀茂の祭りの日、帥宮は和泉式部を自分の牛車に同席させ、堂々と祭り見物に出かけました。簾をわざと垂らし、その隙間から彼女の衣装を見せることで、彼女を伴っていることを誇示しました。さらに「忌中」と書かれた赤い色紙まで付けることで「(二人は)恋に死す」とアピールしたかったのでしょう。 帥宮の大胆不敵な態度に、和泉式部は心を奪われ、夢中になっていきます。二人の恋がどれだけ世間を騒がせ、人を傷つけるものであるか、和泉式部は理解していました。それでも自らが傷つく覚悟を持って、帥宮との恋にのめり込んでいったのです。 「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月〈暗い闇から、またさらに暗い闇へと入っていきます。どうか、はるかな彼方からでも、導きの光がありますように〉」という和歌を詠み、明るくはならないであろう顛末を予感してかのようでした。 そして予感は的中してしまいます。寛弘四年(1007年)10月2日、帥宮は兄(尊親王)に次いで、突然、亡くなってしまうのです。 すべてを捨てて帥宮との恋に生きた和泉式部は、文字通り抜け殻のようになってしまいました。帥宮の正妻は尼(女性の僧侶)になりましたが、和泉式部にはその立場が許されませんでした。 ◇紫式部も和泉式部も藤原道長がサポートした 和泉式部が行き場を失ったとき、当時の実力者である藤原道長が彼女を宮仕えに誘いました。和泉式部には帥宮とのあいだに二人の子がいましたが、男の子は出家し、女の子は手元で育てていました。子どものためにも経済的な独立が必要だったため、和泉式部は道長の誘いを喜んで受け入れました。 後宮の女主人である彰子は、藤原道長の娘です。また当時、彰子の後宮には紫式部が仕えていました。 地味で真面目な性格だった紫式部は、活発な才女であった清少納言を批判する一方、和泉式部についても「和歌がうまいというが、羨ましいほどでもない」と相手にしない姿勢を示していました。このような記述から強いライバル意識があったことが伺えます。 紫式部の批判にもかかわらず、すぐに和泉式部は彰子にも気に入られ、和歌の名手として後宮で人気を集めます。藤原道長もその財力と権力で支援し、文学や音楽の才能に恵まれた女性たちに居心地の良い場所を提供しました。 宮廷女性は、容姿だけでなく、教養や家柄も重要視されていました。男性が贈る和歌に対して、即興で返歌できるセンスが求められ、当時の美女とは、家柄・教養・適度な容姿を兼ね備えた女性を意味しました。 和泉式部は上記の条件をすべて満たしており、過去の悲しい恋も重なり、男たちの好奇心を刺激します。和泉式部はその魅力から、多くの男性に言い寄られました。しかし、和泉式部は多くの誘いを断ったそうです。 恋多き女性として陰口も叩かれましたが、和泉式部は自分が気に入った相手とだけ関係を持っていました。そして和泉式部は、武将として名高い藤原保昌と再婚します。彼に従い、丹後の国(現在の京都府北部)へ移り住みました。 最初の夫・橘道貞とのあいだに生まれた娘・小式部も、後宮に仕えるようになります。小式部は母親譲りの才能に恵まれ、宮中での歌合わせ(和歌を詠む競技)にも選ばれるほどの歌の名手でした。 ある歌合わせの際、小式部が和歌を詠むと、意地の悪い者が「母親に代作してもらったのではないか」と揶揄しました。 すると、小式部は「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立〈丹後はとても遠く、私は天の橋立ても見たことがない。だから母から手紙も受け取っていない〉」という和歌を即座に詠み、自身の才能を証明します。和泉式部は、立派に成長した娘を誇らしく思ったに違いありません。 小式部は頭中将(高位の貴族)の藤原公成と恋愛し、子どもを産みました。しかし、産後の経過が悪く、若くして命を失ってしまいます。最初の夫、橘道貞もすでに亡くなっていました。 どんなに愛しても、この世のすべてが一時的であることを、和泉式部は誰よりも知っていました。この世の無常を理解していたからこそ、彼女は飽くことなく恋愛をし、美しい言葉によって文学として昇華させたのでしょう。
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