富士山2240回登頂、81歳ベテラン登山家が死の恐怖を感じた日「あんな怖い思いはしたことなかった」
2014年から3年連続でエベレストに挑戦するも、いずれも登頂には至らず無念の撤退
富士山の登頂記録と並行して、世界の名だたる高峰へも挑戦を重ね、エベレストを除く7大陸最高峰に登頂。14年には満を持してエベレストに初挑戦するも、大規模な雪崩発生による登山規制で無念の撤退を余儀なくされる。 「テレビの企画でタレントのなすびくんと一緒だったんですが、中止が決まったときは2人でワンワン泣いて……。帰国してからも魂が抜けたような感じで、富士山に登っても今まで片道2時間の道のりに7時間もかかってしまう。『實川の富士山はもう終わった』とも言われました」 失意の中から再起できた要因は、やはり記録の存在だ。「史上最多とされていた富士山登頂記録が1672回で、あと50回登れば超えられるというところまで来ていた。やっぱり、人間目標がないとダメだね。マスコミからもいつやるんだと発破をかけられて、テレビが入る予定の達成日を先に設定して、そこに間に合わせるため死に物狂いで登りました」。14年7月16日、単独史上最多となる1673回に到達すると、その先は前人未到の領域へ。10年間で500回を超える上澄みを重ね、昨年の閉山日には2230(ふじさん)回の登頂を達成した。 振り返れば決して平坦な道のりだったわけではない。10年には心臓にペースメーカーを入れ、14年から3年連続で挑戦したエベレストでは凍傷で指を失った。近年は帯状疱疹の症状がひどく、思うように体が動かない日も多いという。これまでで最も命の危険を感じた瞬間には、意外にも今夏の富士山を挙げる。 「8月23日にテレビの収録で登ったんだけど、下山のときに上の方が輝いているような、見たこともない雲が広がっててね。同行者が『髪の毛が逆立つんですけど……』、ストックをザックに差してるやつは『背中がしびれる』っていうんですよ。そこから爆弾が落ちたような猛烈な雷雨が来て、あまりの雨にブルドーザーもキャタピラがきかない。歩けない若い連中を放っておくわけにもいかなくて、幸い全員無事でしたが、あんな怖い思いはしたことがなかった」 近年では、山小屋での宿泊を伴わない夜間登山を「弾丸登山」として規制したり、インバウンドやオーバーツーリズムによる問題から、一部登山道で入山料の徴収や事前予約制が導入されている。変わりゆく富士山の姿をどう見ているのか。 「日本一山を知らない人が登る山が富士山。そして、規制する側もまた山を知らない人間という印象です。登山スタイルも多様化していて、一概に短パンや運動靴の軽装登山が悪いというわけではない。一方で、体力さえあればいいというのもまた違う。それぞれが山と自分の実力を比較して判断するべきで、一律で規制すればいいというもんじゃないでしょう。山小屋に泊まることが前提の弾丸登山禁止もどうかと思う。富士山は誰のものでもないのに、山小屋と行政のための山になっているなと感じます」 誰よりも富士山を知る實川さんも80代。今夏の思いがけぬ経験のように、当然ながら挑戦にはリスクもつきまとう。次なる目標はどこにあるのか。 「実のところ、今はもうそれほど富士山に思い入れはないんです。2230回までは頑張れたけど、今年は天候も悪くて登頂はまだ10回きり。80代で年間100回とか(富士山の標高と同じ)3776回とかいろいろあるけど、願わくばもう一度エベレストに挑戦したい。何歳になっても夢だけは諦めずに持ち続けようと思ってます」 日本一の山から世界一の山へ、ミスター富士山の挑戦は続く。
佐藤佑輔