Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

原発事故で混乱のさなか死後3週間放置された父 東電提訴の遺族が9年抱える「心の曇り」

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
47NEWS

 病院や避難所を捜し回った末、やっと会えた父の目はくぼみ、鼻には酸素マスクの跡が残っていた。2011年3月の東京電力福島第1原発事故で、福島県大熊町の双葉病院に入院していた佐藤久吾(さとう・きゅうご)さん=当時(87)=が、適切なケアを受けられず院内で死亡したとして、佐藤さんの遺族5人が7月3日、東電に慰謝料など計約4400万円の支払いを求めて福島地裁いわき支部に提訴した。遺体は家族に知らされないまま約3週間、院内に放置されていた。原発事故発生から9年以上たってようやく、長男の久男(ひさお)さん(60)は「父はどんなに怖く、苦しかっただろう。ずっと心が曇る感じがしている」と抱え続けた思いを語った。(共同通信=井沼睦)  ▽救助来ず  東日本大震災が起きた11年3月11日、同県富岡町に住んでいた佐藤さんの次男(57)が、第1原発から約4・5キロにある双葉病院に駆け付けると既に夜だった。外に出ていた病院職員に声を掛けると、「異常ありません」とのことだったので安心して避難所へ引き返した。翌朝には帰宅できると思っていたが、原発の状況は悪化していった。大熊町が避難誘導していると聞き「病院にいる父は大丈夫だ」と考え、次男は家族で車に乗り東京の姉の家へ逃れた。

当時、双葉病院と系列の老人保健施設ドーヴィル双葉には高齢者を中心に計436人の患者や入所者がいた。政府の避難指示を受け、自力で歩ける患者らは12日昼ごろ、町の手配したバスで避難。寝たきりの佐藤さんを含む計228人はわずかな医療スタッフと残り次の救助を待ったが、その日の午後に福島第1原発1号機が水素爆発を起こした。  救助のために自衛隊や警察が再び病院を訪れたのは14日未明。同日午前5時すぎ、救助開始までもたずに佐藤さんは息を引き取った。病院の医師は死亡診断書を残し、遺体の搬出を警察に委ねたという。  ▽家族総出  双葉病院の患者が散り散りに搬送されたとのニュースが飛び込んできたため、次男は福島へ急ぎ戻った。後に判明することだが、患者らはバスで230キロ以上搬送されるなど過酷な避難を強いられて次々と命を落としていたのだ。  次男は、仕事のため県内に残っていた兄の久男さんと手分けして父を捜し始めた。当時、福島はガソリンが不足しており、隣県の新潟や避難先の東京で給油しては、北は福島市、南はいわき市までリストアップした病院や避難所を車で巡る日々。姉たちも東京から病院などに電話をかけ続けたが、父の行方は分からないまま時は過ぎた。

【関連記事】

最終更新:
47NEWS