身体障害者野球 滋賀ビッグレーク 井上光紀 王者との真っ向勝負を経て目指す舞台「日本代表選手としてプレーしたい」
「本気で日本代表を目指すため」野球一本に
滋賀に入団以降は、「ほぼ皆勤賞です」と語るほど毎週末の練習に打ち込んだ。 本格的に野球を始めて約6年半、当初から投手そして中堅手を務めている。技術も「すごく上がりました!」と自信を持って答えた。 「特に投手としてなのですが、一番得意なのがフィールディングです。身体障害者野球は、下肢障害・上肢障害の選手が一緒のチームでプレーするので、カバーし合うことが大事だと思っています。なので、普段からより力を入れて練習をしています」 一方、パワフルかつ柔軟に打ち分ける打撃も井上の持ち味で、チームでは入団当初から中軸を担っている。 その打撃について語ってもらった中で、ある取り組みをしていたことを明かしてくれた。 「打撃練習は一人でできないので数を打ちたい目的と、療育手帳を持っている選手で試合に出れないメンバーたちのために、障害者ソフトボールも一年半ほどやっていたんです。昨年は滋賀県代表で国体にも出場していました。 ただ似てると言えども競技も異なりますし、僕は野球での日本代表を本気で目指しているので、そのために野球一本に絞りました。何かを得るに何かを捨てないといけないですから」
「アピールしたい」と臨んだ全国大会で本塁打
”日本代表に選ばれる”。その目標は6年半、練習のモチベーションとなっている。 これまで日本代表でプレーしている選手は、全国大会で活躍することで選抜者の目に留まっていた。しかし、滋賀は全国大会への出場が18年春と23年春のみ。 そのため、自身のプレーを見てもらう機会をどうしても欲していた。そんな井上にまたとない機会が訪れたのが昨年の秋だった。 11月に行われた「第25回 全国身体障害者野球選手権大会」。ここでは5年に一度「ワイルドカード」という制度が用いられている。 同大会では地区7ブロックで優勝したチームのみが参加資格を得られるが、ワイルドカードは参加チーム以外で参加希望選手を募集し、「選抜チーム」として大会に出場できる。 「日本代表になるには、全国大会でアピールが必要」と考えていた井上にとって絶好のチャンスだった。 強く抱いている目標を手繰り寄せるため、自ら手を挙げて参加を表明した。選抜チームのメンバーは東北から四国まで、己の実力を見せたいと15人が集まった。 「Nexus」と名付けられた緑のユニフォームに袖を通し、初めて秋の大会の舞台に立つことになった。 「大会に出られる喜びですごくワクワクしていましたし、絶対優勝する・アピールするぞという気持ちで臨みました」 その言葉通り、井上はグラウンドで躍動した。初戦の新潟シリウス戦では3番・中堅でスタメン出場。この試合では、打者として主軸の働きを見せた。0-0の3回、1死2塁で打席が回ると右前に弾き返し、先制点をもたらした。 ここで終わらず、次の見せ場もやってくる。1点リードを保った5回表、1死1・2塁で打席を迎えた。 3球目を振り抜くと打球は右中間寄りへと飛び、中堅手の頭を超えた。激走を見せた井上は本塁へと滑り込んだ。 「本塁打の打席ではセンターから右方向を狙っていました。柵越えを狙おうとすると、力んでポップフライか三ゴロになってしまうので」 ランニング本塁打で3点を加えたNexusは、井上の全打点で勝利。チームを準決勝進出へと導いた。
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