緩和ケアがあれば、安楽死はいらない
3回目の診察は主治医として認められるかどうかの大切な日
私は、ホスピスで長く働いていたときから、自分の中で決めていたことがあります。それは、診察を始めた病人は、3回会うまでは、とにかく相手の話を聞き続けると言うことです。ただ聞くのではなく、病人の中にたまっている言葉を、引き出せるようにまず心がけます。 「どうせお前もオレを治すことはできんやろ」と言われたとき、こう思ったのです。 ああ、自分は今試されているな、本当に信頼して良いのか、ロクロウさんの面接試験を受けているのだなと。 私はただ、「治せるところはきちんと治しましょう」とだけ答えました。そして、「明日もまた来ます。今日の診察の続きをしましょう」と伝え、出直すことにしました。 次の日、ロクロウさんの家にまた行きました。私は、「昨日の診察から今日まで、短い時間でしたが、どんな風に過ごしていましたか」と尋ねました。病人自身が体験している毎日の時間、そして自分の身体を通じて感じていることを、聞いていきました。 ロクロウさんは、昨日からどんな1日を過ごしていたのか話してくれました。自分の部屋で夕食を食べ、ほとんど残してしまい、風呂に入ろうと思ったけど、自力で入れずあきらめた。夜はトイレに何度も起きて眠った気がしないと。自分から「右の胸が痛く、立ち上がるときに大変だ。お前に何とかできるのか」と最後に言われました。
緩和ケアは、いつも真剣勝負だ
これはロクロウさんとの真剣勝負だと思いました。どれだけがんの医療用麻薬を使い慣れていても、必ず成功するとは限りません。私は、「まず、副作用の少ない普通の痛み止めを使いましょう。そして明後日また診察に来ます」と答えました。 そして、また次の診察の日がきました。また同じように、前回の診察から今日までのことをずっとロクロウさんに話してもらいました。 1日のほとんどをベッドで過ごし、そしてタバコを吸い続けているようでした。「タバコは美味しいの?」と私が尋ねると、「最近は美味しくない。でも他にやることもないからな」と答えるだけでした。 3回目の診察では、ロクロウさんの様子も少し変わってきました。自分から色んなことを尋ねてもいないのに話し始めるのです。 「自分が若いときは、仕事の後、ぱーっと若い衆を連れてな......」と若い頃の景気の良いやんちゃしていた頃の話、「オレにもあちこちに女がいてな......」ととても家族には聞かせられないような話(いつも診察は二人っきりでした)。 そして、こう話し出したのです。