緩和ケアがあれば、安楽死はいらない
自分はまだ大丈夫、今日と同じ明日が来る、と信じる病人の気持ち
一瞬視界が真っ白になりました。「ひどく煙った部屋だな」私がロクロウさんの部屋のドアを開け、中を見渡すと、6畳程度の部屋にある使い古したベッドには、痩せた男性がテレビを観ながら、静かに横になっていました。 脇にはたばこの吸い殻が大量に並ぶ、灰皿がありました。ロクロウさんは、私と目が合うと、その躯体とはおおよそ似つかわしくない、鋭い目つきで私を見つめました。 とある病院から、肺がんのロクロウさんのことを初めて紹介されたのは、1週間前のことでした。病院からは、「外来の受診も、入院も、本人を説得しても、全く応じない。家族も困っている。病院としては、何も手助けができない」ととても困っていることがよく分かりました。 私は、緩和ケアを長く専門にし、今も自分のクリニックと、市内の総合病院で働き、主にがんで苦しむ方々を診療しています。自分のクリニックでは、自宅まで往診し、病院に通うことができなくなった方のために、特に緩和ケアが受けられるよう、診療を続けています。 「住み慣れた自宅で最期まで過ごしたい」と強く心に決めて、自宅に療養している方は少数です。多くの人達は、自分が最期にどこで過ごしたいかを、はっきりと決めているわけではありません。 どんな状況になっても、ベッドで寝たきりになり、トイレまで歩くのがやっとになっても、自分の最期はまだまだ先の事、今考えなくて良いと思うのが、病人にとっては普通のことなんだと今の私にはよく分かります。今日と同じ明日が来ると、どんな状況でもずっと思い続けているのです。 なので、病人はいつも自分のことを冷静に、客観的に考える事はできず、どこかのんきです。刻々と状況が変わる毎日の変化をみて、「この先大丈夫なのだろうか」と不安を感じ、焦り、悩むのは、一緒に暮らす家族であることがほとんどです。 どんな状態になっても「自分はまだまだ大丈夫」と病人はいつも考えているのです。 そんな患者を診ている経験から、最近よく議論になる安楽死の是非を考えてみたいと思います。 (この話に登場する人物にモデルはいますが、仮名を使う などご本人とわからないように詳細は変えて書いています) 【寄稿:新城拓也・在宅緩和ケア医 / BuzzFeed Japan Medical】